北海道日帰り温泉の旅

 

平成25年12月1日

December 1, 2013

 

美瑛町下宇莫別本勝寺 洪水殉難者慰霊碑と山崎與次君碑

 

「明治23年山崎與次、與吉兄弟は一族を挙げて新潟県南蒲 原郡中之島村から渡道、札幌て゜醸造業を営み、その後與次は平岸に移り
農業に従事しつつ未開地の開拓に意欲的であった。」と下宇莫別百年史に は記載されています。與次は
山崎與吉翁頌徳碑の與吉の
実兄で開拓監督者として入地、下宇莫別の開祖となった人物のようです

次の写真は本勝寺から下宇莫別川を挟んで位置する下宇莫別集落を望ん だところです

 

 

本勝寺の前身下宇莫別説教所は明治38年落成。檀家総代山 崎與次、入江勘蔵、岡地勘三郎となっています

 

 

 

 

 

 

 

越後の国南蒲原郡上沼村出身、明治十八年渡道札幌で農事、 明治三十年宇莫別に入ったと記されています。水稲栽培、
教育所設立に貢献し
明治四十四年六十一歳で病没しています。

 

明治三十年は美瑛町では明治二十七年旭牧場小林直三郎、明 治二十八年小野農場の三沢藤助、明治二十九年の和歌山
団体田仲儀太郎に続く
開拓草創の時代です

 

 

 

 

 

 

全町で死者55人を出した大正4年の大洪水で下宇莫別は溺 死者48名と最も大きな被害が出ているが、この年山崎三代吉を
代表とする一同によって
本勝寺境内に洪水殉難追悼碑が建てられたとのことですが、碑裏面には「昭和三十一年四月下宇莫別
行政区」と彫られています 。「山崎三代吉」の名
も見られます。山崎與次下宇莫別開基100年記念碑には山崎姓の方が九名
記されています。現代に歴史が引き継がれているので あれば素晴らしいの
ですが、どうでしょう

 

 

 

大正四年の美瑛町の大洪水は町内死亡者55名、そのうち宇 莫別川流域48名。下宇莫別では、下宇莫別小学校校長村井由太郎一家六名が学校と共に押し
流され、下流の大木に激突し死亡するなど28名の犠牲者を出しています。聖台ダム建設に最後まで反対運動が続いたのも、当然 この歴史を踏まえて
のものであったでしょう

 

 

 

 

 

 

 

本勝寺は寺院のほぼ総てが町中心部に集まった美瑛町にあっ て地域集落に残る珍しい存在です。もとも
この地にあった慶雲寺は昭和八年市街地に移転し、その跡地を譲り受けて独立の寺院となったものです

 

 

旭川市西神楽南1条3丁目  美瑛川治水竣工記念碑


美瑛町下宇莫別   チヨ子地蔵

 

美瑛町美沢  美沢神社と早崎翁彰徳碑

美瑛町 美 馬牛駅前 沼崎重平翁彰徳碑

美瑛 町下宇莫別 山崎吉翁頌徳碑

美瑛町旭旧旭小 学校敷地内 板谷宮吉翁頌徳碑

美瑛町美沢美 沢小学校内 石山替治頌徳碑

美瑛町美瑛 神社 田仲儀太郎碑

美瑛町下宇莫 別本勝寺 山崎與次君碑

美瑛町旭 旭農場彰徳碑

美瑛町美瑛原 野5線 藤野農場彰徳碑

 

 

inserted by FC2 system