北海道日帰り温泉の旅
平成25年9月8日
September 8, 2013
美瑛町美沢 美沢神社と早崎翁彰徳碑
明治33年(1900年)神楽村から分村した時に早崎悦太 郎が村名を委任されて命名し、採用されたとのことですが、旭農場小林直三郎、原野小野 農場三沢藤助、原野に田仲儀太郎
など入植の諸先輩をさておき名誉ある「美瑛」 名付けの親となった早崎悦太郎氏の彰徳碑が美沢神社に建立されています。町内には下宇莫別 山崎興吉翁頌徳碑、美 馬牛駅前
沼崎重平翁彰徳碑、旭地区自作農創設を記念彰徳碑などがありますが、早崎翁彰徳碑
以外は農業人とは言えない人達でしょう
美沢開拓碑
100周年記念協 賛会
沿革
渋沢農場、田中農 場、北海道製麻会社、帝国製麻会社、堀内農場、早崎農場、大正木工場、霜鳥農場、長井農場、
宇野牧場、今井牧 場、保原トメ農場、相馬農場、尾泉農場、千葉農場
沿革には「大正木 工場」と記載がありますが、上川神社大鳥居前の禁札の寄贈は上川木工場となっていて、同じ名前です。
同一かどうかは不 明ですが、事業家の農場経営は当時一般的だったものと思われます
下段右写真は上川 神社の禁札です
早崎翁彰徳碑
美瑛郷土資料館年 表には「明治三十年十月早崎悦太郎、小作人二十二名とともに早崎農場入地。」とあります。二十九年四月には美沢一区に美瑛農場が
創設されているよ うですが、こちらは沿革碑にも記載がありません。いずれにせよ早崎悦太郎氏は美沢地区開発の一大功労者のようです
昭和二十六年八月 碑の除幕式が行われています
昭和三十三年八月 名誉町民早崎悦太郎長逝
いずれも美瑛郷土 資料館年表による
碑文
明治三十年四月二 十三日早崎悦太郎翁郷里兵庫県養父郡大蔵村ヨリ小作人二十二戸ヲ率イ原野十七線以二百五十ニ町歩四反ハ畝四歩の大地積ニ
包雍スル農場ニ入 地爾来刻苦精励開墾ニ努力並部落文化開発ニ○○セラル今日此ヲ見ルニ至リ永ク其ノ功績ヲ偲ビ翁ノ徳ヲ彰ニシ石ニ刻ミテ以テ是
ニ永久ニ伝ヘント ス
確たる自信のない 部分と一部読み取り困難なところもありますが、大意は以上のようなものと思います。農場主さんでも地元にあって共に開拓に汗を流した
方のようです。
美瑛町立美沢小学 校 美瑛町立美沢中学校の門
美沢小学校は右方 向に建て替え移転、中学校は統合されています
明治三十三年四月 美沢に第一簡易教育所が設置されています。旭農場が明治三十四年二月、横牛簡易教育所が明治三十六年七月で
美沢のこの地は美 瑛教育の発祥の地と言って良いと思います
美沢小学校 中学校の旧門から美沢神社を望んだところです