北海道日帰り温泉 の旅
平成24年10月21日
October 21, 2012
美瑛町 美馬牛駅前 沼崎重平翁彰徳碑
大正15年9月10日 - 国有鉄道の駅として開業。沼崎重平翁の働きも大きかったとされる。北の国から のロケで使用された。
筆者的には馬車の鉄輪でも飾られていた方がしっく りするのですが、美馬牛は現在丘の町美瑛の一方の入り口でもあり、
駅にもお洒落な装飾を施したものと思われます。
駅前の一角に沼崎重平翁彰徳碑は建立されていま す。裏面の碑文を読むのはなかなか容易ではありません。
彰徳碑の前の小道に切り株がそのまま残っていまし
た。なんとこの時代に素晴らしいではありませんか。
拓殖医と称される道が補助金を交付して、医師の開業や定着を図る施策があったようで、医師として、村の議員として、さらに農場経営 者としての足跡を遺して旭川
へ転出し たようだ。旭川で沼崎重平氏の経営した向井病院は現在の厚生病院の前身に売却されたとのことだが、医師の血脈は続き、現在旭 川市内の沼崎病院も子息
の創立の ようである。現在は重平翁から三代目になるのだろうか。
碑文
沼崎重平翁資性温良仁慈に富む明治三十九年北 海道拓殖医として本町に移住医院開業爾来十有五年僻村医療の為専念其間村会議員を勤められ寸暇のない身で
開拓事業にも尽瘁された功績は筆舌に尽し難い 大正二年美馬牛駅を中心とする区域を沼崎農場とし開拓指導に力を注がれたが美瑛上富良野両市街には何れも三里
余の行程を有し交通不便の為発展に支障あると 痛感された翁は此処に停車場の設置請額運動を起し爾来十有数年間初心貫徹の為あらゆる困難を排除し大正十四年
遂に停車場設置許可を得美馬牛駅と命名翌十五 年九月開設された翁は又美瑛宇莫別川未曾有の水害復興に身命を賭しての功績に依り美瑛原野の一部貸付を得農場
として開発された現在美瑛町沼崎農場が即ちこ れである翁は其後本町を去り旭川市に於て沼崎医院を開設され専ら仁術に尽瘁されている是等数々の功績を刻名して
永遠に伝える。
撰文並に執筆 美瑛町 正七位 石山替治
上富良野沼崎農
場、上富良野農協、美瑛町役場、美瑛沼崎農場、美瑛農協、美馬牛町内有志などが発起人となっています。
上富良野町郷土をさぐる会のホームページ上で沼崎 農場の思い出として紹介されている、打越与三郎も発起人に名を 連ねている。
打越与三郎は美瑛町上宇莫 別入江農場の小作であったが、田中亀夫の未墾地を最初に購入した一 人。田中亀夫の未開地 はその
後美瑛町の開業医沼崎重平 氏転売され、沼崎農場が誕生 したと打越与三郎の子息の記述がある。
それでは、美瑛宇莫別で打越与三郎氏が小作をしていた入江農場は・・・・・・・と探ってみるとこちらも面白い発見がありました。
美 瑛町 宇莫別地区開基百 宇莫別小学校開校九十周年記念の碑 に入江姓が多く刻まれていました。こちらも子孫
の方たちなのでしょう。
昭和30年6月10日建之
JR 富良野線神楽岡駅ー緑が丘駅ー西御料駅ー西瑞穂駅ー西神楽駅ー西聖和駅ー千代ヶ岡駅ー北美瑛駅ー美瑛駅ー美馬牛駅
ー上富
良野 駅 ー 西中駅 ー 中
富良野駅 ー鹿討駅
美 瑛町 美馬牛駅前 沼崎重平翁彰徳碑