北海道日帰り温泉の旅
平成24年8月26日
August 26, 2012
美瑛町 昭和6年福島から集団移住開拓の行われた二股地区
旧二股小学校 中学校
二股地区は芦別市との境界となっている留辺蘂山の麓に拓かれた戦後開拓を除けば比較的遅い開拓地で美瑛川の支流の留辺蘂川の二本の支流沿いに開拓が進められたようだ。
昭和60年発行の地図では二股地区には共栄、日進、福島、富美、二股青葉の五つの集落が記載されているが、今回の訪問で確認できたのは共栄と日進のみであった。
二股小学校は昭和3年4月25日開校、平成2年3月31日閉校。現在は美瑛町自然の家として活用されている。「東京経済大学指定 研修施設」の看板が付けられていた。
昭和6年8月に二股地区に福島県より76戸が入植と美瑛郷土資料館の年表にありますので、そのときのものでしょうか。
二股行政区長さんは鎌上姓ですから、おそらく・・・・・・・・・・・。
二股ゲート付近から上富良野町境界にかけての地区はかって二股青葉地区と呼ばれていたようですが、確認できた人家は皆無でした。
二股地区探訪のつもりが、いつの間にか上富良野町に入ってしまいましたので、再びユーターンしです。
上富良野町の丘陵畑作地帯に繋がる耕地はそば畑が広がっています。
かつて二股青葉と呼ばれていた地域でしょうか。
二股日進に向かうにつれ沢沿いの耕地は狭くなりついには耕作されているところは見つけられなくなります。
かつて人々は留辺蘂川のこの僅かな水を頼ってこの地に入植したのでしょう。
愛生橋を渡って直ぐの場所に人家がありますが、現在は使用されていないようです。
それでも母屋も小さな小屋の屋根もきちんとした形を保っていますからから近年まで使用されていたものと思われます。
更に日進方面に進むと、旧道沿いに平坦な荒れた農地跡が見られるようになってきますが、日進地区までは人家は皆無でした。
旧道は一部通行可能ですが、全面利用は不可です。
共栄地区まで戻って
二股共栄から山側に入ったところに二股福島という地区があったようなのでとりあえず進んでみたが、間もなく農地が途切れ山林に入ってしまいました。
一戸だけ農家があったが、現在は居住していない様子。 共栄地区から間もなくの距離ですから、ここも共栄地区かも知れません。
鹿よけのテープでしょうか。この先で二頭の鹿と遭遇しました。
共栄地区で見かけた小さな社です。
福島観音堂の表示のようにも思えますが、そうだとすると福島からの集団入植のしるしが今も残っていることになります。
美瑛町 昭和6年福島から集団移住開拓の行われた二股地区
旧二股小学校 中学校