北海道日帰り温泉の旅
平成25年8月3日
August 3, 2013
旭川市忠和 忠和神社
昭和30年旭川市に編入されるまでは神居村の忠和地区でしたが、編入後忠和の大部分は都市化の
波に巻き込まれ
大部分が市街地となってしまいました。忠和神社はそのような忠和地区の中で最も都市化の影響を受けなかった端
っこに位置しています。旭川市の週末処理場の裏手にひっそりとその姿を隠していました
忠和神社は木立の中に隠れるように建立されていましたの で、一見しては存在に気付かないほどです
旭川近郊の農村地帯で見かけた数々の地域神社の中でも、最も簡素なつくりです。それだけに開拓 当時の面影を色濃く残していると思われます
社日碑は開拓者の建立したものには違いないのでしょうが、一般的な農業五神ではありませんでし た
大正十四年九月改築と彫られてています
国常立尊
天地開闢の際に出現した神だそうです。一部神道で重要視されているちのことですから、忠和神社 もその流れをくんでいるかもしれません
伊弉諾大神(イザナギノオオカミ)伊弉冉大神(イザナミノオオカミ)のことのようです
天照御大神(あまてらすおおみかみ)の御両親だそうです
忠和神社横から旭川市神居町台場に抜ける道路は一応ありますが、私道とのことです。昭和32年
に江神橋が掛けられるまでは神社のある地域は
行き止まりの地域だったことになります。それにしても地域の名を冠した神社が地域の隅っこに追いやられているような感じを受ける
のです
が、地域の中心部に何故神社が建立されなかったのでしょうか
旭川市神居町忠和 忠和神社