北海道日帰り温泉の旅
平成24年12月2日
December 2, 2012
旭川市神居町雨紛 雨紛神社
神居村は昭和30年旭川市と合併するまではれっきとした独立の村で、地域の名を冠した雨紛神社と村名を冠した神居神社がある。
雨紛神社は明治26年創祇。大正5年神居村の中の雨紛の地に国から創立の許可。一方神居神社は昭和3年11月7日創立許可。
村社昇格はそろって昭和4年。
旧神居村は、神居山が南北に近接して並んでいる空知と上川の境界とも言うべき幌内山地北部を占め、深川市、芦別市に近接する
、豊里地区もその領域で、狭い範囲とは言え交通の便の悪かった時代村の求心力には難しいものがあったのではとつい思ってしまいます。
反面、地域ごとの団結力が強く、そんなことが神社の姿にも現われているのかも知れません。
神居土地改良区雨紛用水顕彰碑
旭川市の資料にも、「青森県人の杉沢繁吉氏が造材作業終了後の明治24年、「赤毛」の種もみを取り寄せ、雨紛西五線で5アール(五畝歩)の水田に試作し27リットル(1斗5升)の収
穫をあげた。翌25年には20アール(二段歩)を作ってこれも成功したという。」と記載されているので、永山神社にある上川水田発祥の地に記されている年度と同じになります。
別途上雨紛に上川水稲発祥の地の碑が建立されているようですが、今回はパスしました。
明治33年2月16日に設立された北海道拓殖銀行から明治33年7月に13,000円を借款し用水路掘削を開始したとあります。
特殊銀行とは言いながら、スピードの速さは驚くばかりです。
「明治26年上雨紛第一用水路掘削」「明治29年富沢第三用水路掘削」とあります。
「長野県諏訪郡長地村生身 神居村雨紛基線六号 増澤甲子治」
と彫られています。
明治42年4月1日上川郡神居村が村制施行されていますから、その後のものでしょう。
「岡谷市立長地小学校」があります。現在は岡谷市ですが、長地の地名は残されているようです。
上川神社の宮司柴田直儀氏の名もありました。