北海道日帰り温泉の旅

令和3年10月10日
October10,2021


士別市大通北1丁目   士 別市稲作(水田)発祥の地



士別市の稲作(水田)発祥の地は、上川地方で何番目かではなく、 当時塩狩峠を越えた道北で稲作は無理だろうと考えられていた
常識を打ち破ったことにあります。明治33年屯田兵村の山畑弁次郎と角田繁蔵が自宅付近の湿地に作付けしたのが始まりとされ
ていますが実際は家族の山畑善蔵、角田寅治の仕事であったようです。

当時は青米しか収穫できなかったようですが、稲わらは馬糧として、縄、カマスなどの原料として高騰しており、「三年に一度
稔ればよい。」とまで言われたそうです。

その後灌漑溝掘削にまでこぎつけた兵村ですが、明治37年現役終了、同年日露戦争に動員され明治39年帰還。土地売買の権利を
手に入れ、従軍によりまとまったお金を入手したことで離村が相次いだとされます。稲作は下士別、多寄、恩根別、上士別の一
般移民入植者に引き継がれていきます。



 


 

屯田兵の給与地はほぼすべてが市街地になっています。 農業では必ず しも最適地ではなか
ったようですが、この地方の中核となる地の利は申し分なかったということでしょう。



















旭川市上雨紛 上川水稲発祥の地の碑

上川水 田発 祥之地の碑(永山神社内)

当麻町中 央六区 当麻稲作(水田)発祥の地

美瑛町旭 水 田発祥の地

東川町 水稲 発祥の地の碑

比布町北3線 11号 水田発祥の地の碑と開拓記念碑

鷹栖町稲作(水田)発祥の地の碑




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