北海道日帰り温泉の旅
平成25年11月3日
November 3, 2013
遠軽町丸瀬布大平高原 大平小中学校跡の碑
「武 利八百町歩と呼ばれた標高500~600mの山深いこの地は戦後の緊急開拓によって、昭和 二十三年三戸が入植し開拓が始まり、二十七年十三戸が入植
し 一集落を形成」と丸瀬布町史にはあります。現在は見渡す限りの広大な牧草地が広がるだけの大 平高原の中心部に人々の営みが確かにあったと示す
記 念碑が建立されていました
ほっ かいどう100の道
大 平ジオパークロード
国 道333号と道道1070号丸瀬布上武利方面を結ぶ約16kのこの道は、北海道ならではの 通ってみたい道として「ほっかいどう100の道」
に 選定されています。標高500~600mの地点に位置する大平高原は、火砕流によってなだら かな平坦面が高原帯につくられ、寒冷な気候
の 場所に特有な風化作用がすすむことで作られた地形の場所です。現在は、面積420ヘクタール の牧草地として利用され、360°見渡す限
り の大パノラマが広がり、夜空は「天然のプラネタリュウム」と言われるほどの満天の星空が広が ります。
大 平小中学校跡
昭 和三十年四月高原開拓地四十二戸の小学校として設置。昭和三十六年小中生五十一名を数えた が、その後離農続出し、昭和四十四年三月
十 五年の歴史を閉じ、昭和四十六年ついに無住集落となった。児童は本校設置前は武利校に集団登 下校。
一 人の卒業生、一人の在校生を送る閉校式には同窓生、旧職員、在町離農者、来賓65名が参集、 大平高原集落の解散式とも言うべきもので
あっ たと丸瀬布町史には記載されています
大 平開拓記念碑
碑
文
この地に開拓の鍬が下ろされたのは昭和二十三年戦後の緊急開拓政策は当時武利八百町歩と呼ばれていたこの高台の地を入植地
として設定し昭和二十八年 時の北海道開発局農業部長 大谷信太郎村長 堀重平 両氏の名の一字を戴き地区名を大平とした
昭和三十一年にかけ延べ四十二戸が入植 しかしこの地は人々を容易に受け入れず
厳しい自然に耐え開拓の汗を流し子等の教育に意を注ぎ家族を支える辛い日々を強いた
高度経済成長時代に入る昭和三十七年頃より離農が相次ぎ昭和四十六年十一月をもって無住地区となる
今時 入植以来五十年を迎え 我々は往時の労苦を忍び本町農業再構築の礎しなられた開拓者に心からなる敬意と感謝の意
を捧げるとともにこの地を受け継ぐ誇りを後世に伝えることを誓い この碑を建立する
平成十一年十月 在丸瀬布町大平入植者一同
大 平風穴
夏場には冷気を吹きだしているようですが、この日は周囲の 空気を吸い込むようになっていて、タバコの煙で試してみると穴の中に勢い良く吸い込まれていきました
高地の営農入植地
遠軽町白滝天狗平
東白滝小学校跡の碑
上川町
豊原 豊原国民学校跡地
美瑛町白金 白金模範牧場の早い冬(2021年現在休止されています。)
戦後開拓と縁の深い小学校
美瑛町字拓進 旧美瑛町立千代田小学校裏の地神碑と馬頭観世音碑
僅かの期間
で戦後開拓の幕を閉じた和寒町 東陵地区
旧和寒町立東陵小学校