北海道日帰り温泉の旅
平成25年9月23日
September 23, 2013
鷹栖町南1条3丁目 八幡神社と開拓の碑
緑地公園に接して開拓の碑、歌碑、八幡神社が一直線上にあります。
開拓の由来
石狩国上川郡の植民地選定は、明治二十年に完了したが、このうちチカプニ(近文)原野の区画測量が始められたのは明治ら十四年五月からであった。
この年の四月十五日、チカプニ原野に第一歩をしるした埼玉県人小暮粂太郎等数名は任意開墾らに従事して一時の急を凌ぎ、区画測量の完了をまって
十町歩づつの貸下げを受けここに鷹栖町開拓の歴史が始まったのである。
以来、加賀、岩手、山梨などの諸県から団体移住と個人移住が連綿と続き、明治二十五年二月四日、北海道庁令第五号によって鷹栖村の設置が定め
られて名実ともに鷹栖村が誕生したのであるが、多くの先人の血と汗のにじむ努力によって今日の美田連なる鷹栖町の礎がきずかれたものである
昭和四十八年八月八日建之
誌
中山照重は町開拓の祖にして静山と号す 弘化四年(一八四七)十二月二日山梨県北巨摩郡篠尾村笹尾に生まる 若くして北辺の地を憧れ 明治二十七年
四月十九日山梨県移住団体長として同志四十数名と共にオサラッペに入植し いち早く稲作に着手し 農業水利オサラッペ治水工事を興す 明治三十三年
近文旧度人給与地紛争には同志とともに旧土人の人権擁護のために闘い 大正四年鷹栖村村長として創世期の村政に貢献せり 大正十四年(一九二五)
九月二十三日没す
この碑は大正十三年静山翁七十七歳の初秋建立されたものにしてその遺徳をしのぶためにここに誌す
昭和五十二年九月四日
鷹栖町郷土史研究会
開拓の祖中山照重は中山勝の祖父でした
社日碑
明治三十九年九月の建立です