北海道日帰り温泉の旅
平成25年5月12日
May 12, 2013
上川町清川 上川町立清川小学校跡
上川町の街から層雲峡温泉に向かう道沿いには殆ど人家は見られないのですが、現在パークゴルフ場のある辺りが清川地区で、かっては小学校も置かれていたようです。
学校橋と名付けられた小さな橋の手前に小さな建物があり、清川コミュニティスクールの看板が掲げられています。この建物と小川を挟んだところに清川小学校跡の碑が
建っていました。
現在の国道は写真の右側を走っており、写真の道は旧道で陸万に繋がっているようです。
大正七年 私設双雲別教育所設置
昭和五十八年四月 休校
平成三年七月 廃校
1991年10月作成と記載があります。
平成3年に碑が建てられていますから、同時期にこのモニュメントも造られたことになります。取り壊された学校の古資材を使って造られたものでしょうか。
もう一軒の不明建築です。
鍵が壊れていたので、内部も調査。それにしても家屋の意味不明でした。
畳はこの家屋のものには不釣合いな数です。どこからか運び込まれたものでしょう。
大鎌が沢山。部落の資材が置かれているのでしょうか。
浴槽、風呂の湯沸しなども。
鍵は立派なものですが、取り付け部が既に耐用年数を超過して?壊れていました。
上川町の管理する家屋であれば、補修などの手が入っていると思うのですが、このところは壊れるに任せているような感じです。
清川部落の管理だったものが、住人がいなくなり半分放棄された状態になっているのでしょうか。
長い鉄管が建物の外側に延びていました。この建物に給水の必要があったのでしょうか。
そうだとすると、お風呂に使われた時期もあったのかなと想像も出来るのですが、いずれも確証なしです。
学校橋に並んでもう一つ使われなくなった橋が架かっています。旧道との関係は不明。
道北バス 白川バス停にはお地蔵さんが建立されていました。時代は不明ですが、付近に殆ど人気のない現在でもお参りする方が途切れていないようです。
夏場はただ林にしか見えない国道沿いの平坦地ですが、この季節よく観察すると水田の畦のようにも見えます。
水田ではなくとも、人工的な整地がなされていたもののようです。
清川コミュニティスクール前の国道沿いには、現在の国道に向かって碑が建てられています。
「昭和二十九年八月 上川町観光協会」 と記されています。
観光協会が建てたものから推察すると、歌碑でしょうか。現在は判読困難になっています。
また、どうやら上川町観光協会も存在しないようで、現在の層雲峡観光協会なのでしょうか。