北海道日帰り温泉の旅
平成25年6 月9日
June 9, 2013
美瑛町 十勝 岳望岳台
白金温泉から車で10 分ほどで標高930mの望岳台に到着します。駐車場とレストハウスがあって、十勝岳への登山道がついています。
十勝岳望岳台レストハ ウス
おそば、うどん、おに ぎりなどの食事も出来ますが利用者は多くはないようです。ただ周辺には殆どお食事の出来る施設はないので、便利です。
昭和三十七年の十勝岳 爆発記念碑は駐車場の入り口に建立されています。
硫黄採掘していた鉱員 五名が降りくる火山弾の直撃を受けて死亡しています。文字は目を凝らさないと判読が難しいのですが、亡くなられた方の慰霊碑と言 うべきものです。
銘
昭和三十八年八月八日この碑を建立するに当り、当時殉難の五氏を悼むと共に、山岳無縁物故者の霊を慰む。
児玉 豊 菅原 隆夫 井上 清 小野寺庄一 高橋 倫照
十勝岳は現在も周期的 に小規模、中規模、大規模な爆発を繰り返す活火山です。
上富良野町、美瑛町の 被害は良く知られていますが、実は十勝地方にもその影響は及んでいたようで平成23年トムラウシ訪問の際ダム湖上流で見かけた記 念碑にもその記述がありました。
昭和三十七年の十勝岳 噴火による降灰被害が開拓地の離農を加速させたとあります。
キナウシ開拓の歩み
昭和21年、僻遠の地 トムラウシにも開墾の鍬が打ちおろされた。
時あたかも食糧難時代 である。開拓精神と食料増産の大儀に燃
える開拓者たちは、 うっ蒼とした原始林を縫うようにして走る一筋
の林道を、ひとりふた りと上っていった。生活の資材も糧も人の背
にたよるほかはなく、 夏の間中土場から屈足へ不定期に往復する
森林軌道が唯一の足で あった。
この地一帯のキナウシ 地区は、トムラウシ開拓五地区の中でも最
も若年層で占められた 地帯で、やがて開墾建設の重要地区として
伐開・除根・暗渠・農 道工事が急速に進められ、年と共に緑の耕地
がこの谷あいに拡がっ ていった。最○○には、開拓農家十二戸、
営林署官舎五戸を数え るまでになった。
しかし昭和二十八、九 年の冷害、加えて昭和三十七年の十勝岳噴
火による降灰被害等、 打ち続く自然災害に、かっての燃ゆる如き開
拓意欲も次第に消え離 農者が相次ぎ、残存農家も酪農へと転換して
いった。だが、昭和四 十四年十勝ダムの建設計画が発表され、調
査検討のあと、昭和四 十八年着工の運びとなり、このキナウシ地区
も湖底に沈むことと なった。
ここに、理想郷建設へ の夢を追い続けて来た、三十年にならんとす
る開拓者の努力もその 幕を閉じたのである。
湖底に眠る幾多の霊に 心安かれと祈りつつ。
昭和五十九年九月建立
入植者一同
大正十五年五月二十四 日の十勝岳大爆発による丸谷温泉遭難者慰霊碑がこの先にあるようです。
明治42年には望岳台近くに丸谷温泉 が 開業、現在の白金温泉付近に畠山温泉があり冷泉を沸かし、多くの登山客や湯治客を呼んでいたそうですが、
温泉施設は大泥流を伴 う噴火によって尊い命と共に姿を消しています。
平成25年8月25日 美瑛町白金望岳
台 大正大爆発丸谷温泉遭難者慰霊碑
平成23年9 月18日 新得町
トムラウシ温泉 東大雪荘
キナウシ開拓のあゆみの碑、念仏峠の由来はこち
らです