北海道日帰り温泉の旅

 

 

 

 平成29年4月16日

April 16, 2017

 

美瑛町五稜第一 開拓記念公園の福寿草

 

町内の集落で店舗の現存する数少ない地域です。温泉地の白 金を別とすれば、美馬牛と五稜だけではないかと思われます。東京23区に匹敵する

広大な面積に集落ごとに数多くの学校、商店、行政、経済等 の支所機能が設けられていた昭和の時代を経て、現在は総ての機能が中心部に集約

化され、集落は中心を失いつつあります。懐かしさを感じる 光景がここにはありました。

 

 

 

開拓記念塔に刻まれた文字からは、五稜第一の人々によって 公園が整備されたものと思われます。戦後いち早く開拓の鍬が下ろされた五稜第一

の人達は地域の神社も建立していたようで、後にそれが当時 の言葉で言えば既存の美田地区の美田神社に合祀されているようです。五稜地区の

総ての神道系の私設が五稜神社に一本化しなかったわけは後 の課題として、五稜第一の人々は美田地区との結びつきが深かったのでしょう。

 

五稜第一の歩み

昭和二十二年  大阪十四戸樺太十一戸道内三戸入植

同二十三年  五稜行政区誕生

同二十五年  美田五稜の通学区域として美田小中併設校と して開校

同三十三年  五稜地区に電気導入

同三十六年  阪和神社を美田神社に合祀する

同四十二年  農村集団自動電話開通

同五十一年  美田中学校閉校。美瑛中学校に統合

同五十一年  五稜第一会館新築

同五十九年  五稜開拓舗装道路完成

同六十一年  公園用地取得

同六十一年  開基四十年記念塔建立

 



昨年5月8日訪問時にはカタクリが花をつけていましたが、カタクリはもう少ししてからのようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天照皇大神と馬頭 観世音の石碑がならんで建立され、後方に自然石と思われる石が鎮座しています。開拓初期の何れかの石碑でしょうか。

 

 

 

 

 

橋の向こう側が美 田地区、こちら側が五稜地区です。



 美瑛町五稜第一 阪和神社跡地 五稜開拓公園

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