北海道日帰り温泉の旅

 

 

 

平成27年7月19日

July 19, 2015

 

美瑛町北瑛 元美瑛町長安藤友之輔と父安藤市兵衛の像

 

戦後の美瑛町長は鴻上覚一が二期八年、佐藤初吉三期十二年の後を受けて、昭和四十二年安藤友之 輔が村上彝明との闘いを制して

町長となり、以来五期二十年町長の職にあった。四十六年、五十年、無競争当選、五十四年竹内泰 道との闘いに勝ち、五十八年無競争

で五選を果たし、六十二年勇退しています。

因みに安藤友之輔に敗れた村上彝明は昭和四十六年黒松秀夫の後を受けて道議会議員当選。竹内泰 道はその後政治を引退するも

長男竹内英順がその意志を継ぎ平成七年、北海道議会議員に初当選現在六期その職にあります。道 議会議員を密かに目指したと言

われる安藤友之輔がその思いを果たせず、敗れた二人が雪辱を果たしています。

 

農業者とき言いながら、商業者を除けば比べる者のいない経済基盤を持ち、当時の美瑛村民では全 く想像すらできないような高い教育

を受け、本人の資質とあいまって長期政権を可能にしたのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

安藤友之輔翁は五代目市兵衛、ワカさんの四男として明治四十三年七月十九日山形市に生まれる。 早稲田大学、東京農業大学卒業後

、父の意志を継ぎ北瑛で農業に従事、昭和十五年八月福田みよさんと結婚する。

昭和二十三年美瑛町農協常務理事をはじめ農業関係団体の要職を歴任。昭和二十六年から十六年間 美瑛町議会議員として副議長議長

を歴任、昭和四十二年から二十年間美瑛町の首長として尽力した。質実剛健自己に極めて厳正、旺 盛な研究心と実行力に富み責任感と

常に平等の精神強く、誠実にして信念堅固、温和と寛容な態度を持ちあわせ、加えて鋭敏な感覚を もって、地域の振興発展に大所高所か

ら広く貢献された。昭和六十三年美瑛町名誉町民推戴、同年十二月勲四等旭日小綬章、昭和十年十 一月従五位に叙される。

平成十二年六月二十五日

北瑛開基百周年記念事業協賛会建立

 

 

 

安藤市兵衛翁は、幼名を安次郎、四代目市兵衛、ナカさんの長男として明治八年八月七日山形市に 出生さる。小学校卒業後、家業の仕立業に従事、

十七才の時尊父死去、五代目市兵衛襲名翌年新関ワカさんと結婚、爾来陸軍並に県警御用、消防指 定商等家業を伸長、明治三十二年二十五歳にて

渡道、親戚半澤牧場を成功更に進めて半澤農場を創設、地域の産業、政治経済等幅広く貢献さる。 大正期より東京市に於いて一族の発明に関る電磁

式電気時計の企業化に成功業績を挙げらるも昭和二十年戦争に依る爆撃で廃業止むなくその後山形 市にて老後を過ごされるも二十三年十月二十三

日逝去さる。

北瑛開基八十周年記念事業協賛会建立

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

美瑛町北瑛 北瑛 神社

美瑛町北瑛第三 産 牛馬神社

美瑛町北瑛 旧美 瑛町立北瑛小学校

美瑛町立北瑛小学 校跡

美瑛町北瑛かし わ園内 公立北瑛尋常小学校跡地再訪

美瑛町北瑛 北瑛 開基八十周年記念資料庫

美瑛町北瑛 安藤ダ ム再訪

美瑛町北瑛 北 瑛開拓顕彰碑と愛郷百穣の碑

 

北西会五十周年記念碑 には北瑛と周辺地区を含めて安藤友之輔を支えた歴史の一端が刻まれています。

美瑛町大久保協生  地神宮と飛翔の碑

美瑛町白金望岳台  大正大爆発丸谷温泉遭難者慰霊碑

美瑛町新区画 拓 魂の碑



 


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