北海道日帰り温泉の旅

 

 

平成27年7月12日

July 12, 2015

 

美瑛町白金温泉 鴻上覚一翁の像

 

鴻上覚一氏は 大正12年27歳で風連村会議員、昭和3年、昭和7年、昭和11年、道議会議員に立候補、何れも落選したが、昭和13年

当選者が辞任、次点の松浦周太郎は前年衆議院議員に当選していたことから二年五か月道議会議員を努め、昭和15年またもや落選。

美瑛町藤野に転住、農業に従事。

昭和22年初めての直接選挙において、古参ニ巨頭を破り町長就任。以後二期八年その職にあったが、 昭和30年美瑛町助役から道議会

議員となっていた佐藤初吉に破れ、 昭和34年再びの激戦も佐藤初吉の圧勝となり政治の世界から身を退いた。戦後復興期、町有林の造

成、白金温泉の開発、水利権を目的としたダム建設計画と大きな業績を残している。

 

 

鴻上覚一翁像碑文

氏は美瑛町長在任中名峰十勝岳の観光開発を企図し 泉源の開拓こそその基盤をなすものであるとして 幾多の困難障害にも屈せず

遂に四百メートルの地底より高さ10米に及ぶ大噴湯を現出させることに成功した 時に昭和二十五年八月八日 氏はこの時の感激を

泥淖中に白金を得た悦びになぞらえて この地を しろがね と命名したのである

昭和三十八年八月八日

建立 美瑛町

 

碑文には「昭和三十八年八月八日建立美瑛町」とあります。町長の氏名は記載去れていませんが、当時の町長は鴻上覚一と二度に亘り

激しい争いをした佐藤初吉です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鴻上覚一氏は三期目を目指した選挙で敗れた後、建設業を興しどうやら失敗に終わっているようです。再起をかけての

町長選に敗れた後、金沢で友人の会社を手伝うと美瑛町を離れていますが、現在も藤野に子孫の方が農業を続けて

いるようです。ワンマン町長として知られている氏ですが、戦後の復興期を乗り切るにはこのくらいの負けん気

が必要だったのでしょう。

 

 

 

美瑛町下宇莫別墓地 元美瑛町長佐藤初吉所縁の無縁仏

 

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