北海道日帰り温泉の旅
平成27年5月5日
May 5, 2015
美瑛町上俵真布再訪・大正、昭和の開拓跡を探す
俵真布第三ゲート手前を流れる小さな川が18線川、橋は19線橋と名付けられていました。新区画ダムに一転計画変更される前
は辺別川をこの付近でせき止め忠別川の上流勇駒別川から雪どけ水を導水し、大型のダムを建設しする計画だったようです。
現地にあっても、想像もつきませんが、地元の反対、忠別川に水利権を持つ東川町の反対、予算が莫大なことなどで一転、
新区画ダムに決定を見たようです。
18線川
19線橋
更に上流に進み辺別川を渡ると上俵真布です。大正二年、戦後と開拓されながら、昭和40年には全戸離農となっています。
橋を渡って直ぐ、左手の平坦地に、昭和23年開校、昭和39年3月31日閉校となっている美瑛町立上俵真布小学校があったとのことで
すが、今回も痕跡すら認めることはできませんでした。
人の住んでいた痕跡?
道路右手には小さな池が幾つか見られます。養魚場があったとのことですからその名残でしょう。
養魚場の道路を挟んで反対側の斜面を登ったところに上俵真布神社があったようです。現在上俵真布神社
は俵真布神社の神殿としてその役目を果たしています。
比較的大きな樹木から傾斜を登るあたりが参道になるのでしょうか。
更に上流部に向かうと左手に、現在にあっては意味のないであろう小さな道を見つけたので、進入してみました。
間もなく辺別川の支流左股沢川に出ましたが川で行き止まりです。
最後の農家が去って既に半世紀を経ているにもかかわらず、樹木は疎らで、肥沃な土地ではなかったであろうと推察されます。
筆者には不明の器具でした。農機具?
本線に戻って更に進むと大型機械が自在に走れるであろう大きく造成された耕地が広がっています。
標高500メートル程度。美瑛町内で最も標高の高い地点の農地と思われます。
ちなみに上川生産農業協同組合連合会 白金模範牧場は標高670mで、採草と放牧にのみ利用されています。