北海道日帰り温泉の旅

 

 

 

平成27 年3月8日

March 8, 2015

 

美瑛町  美瑛小学校の二宮尊徳像と旧陸軍演習場廠舎門柱

美瑛農協では昭和33年より精神面の開拓をねらいとして、 横浜市大倉山で開催されていた「人づくり町づくり報徳研修会」に毎年
青年を派遣、
これらの人と定山渓研修に参加したもので、美瑛町報徳会が 結成され、昭和54年美瑛町報徳社となっています。




昭和二十七年の建立です。まだまだ人々の生活は困窮していた年代ではないでしょうか。
21名の名が記されていますが、更生会とはどのような会だったのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「美瑛小学校敷地内 美瑛町文化財第2号 旧陸軍演習場廠 舎門柱」については今回標示板裏面も確認してきました。

 

 

 

 

美瑛町文 化財第2号
名称 旧陸軍演習場廠舎門柱
種類 記念物(史跡)
所有者 美瑛町
所在 美瑛町西町2丁目1番1号
子弟 平成9年5月13日 

明治40 年2月14日旧陸軍演習場規則の発布に伴い、陸軍第7師団美瑛演習場が同年美瑛村字美瑛原野(現在
新星、福富、水沢、三愛、と美馬牛、美沢の一部)の丘陵に創設された。
歩兵、砲兵の戦闘射撃訓練を目的とした演習場は6728.92haに及び併せて歩兵1個連隊を収容する衛戊地
(兵舎12、連隊、大隊本部2、炊事場3、厩舎7、浴室3、診療所1、酒保1、衛兵所1、弾薬庫1、主管官舎1、
標的庫1、敷地面積14.08ha)を擁していた、門柱はこの敷地の営門に建てられたものである。
終戦後、演習用地は食糧増産のための集団帰農者や復員軍人、海外引揚者、戦災者などの緊急開拓地として
入植が進められ、「師団山」と呼ばれていた演習場も「平和郷」と命名された。
同じく旧廠舎施設は町役場管理のもと、引揚者の長屋住宅、美瑛中学校、永山農業高校美瑛分校(現美瑛高校)
などに活用し、この地域を昭和34年12月末日まで「緑町」と称した>

美瑛町教 育委員会

美瑛町文化財第1号は旭川出身の画家高橋北修氏に依頼して描かれた絵画6点です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 美瑛在住で当時農協職員になっていた谷屋健一氏とお会いした時、熱く報徳の何たるかを語っていたのを思い出しま した。
氏は農業から農協職員になり生粋の美瑛っ子ですから固い信念をお持ちだったのではないでしょうか。



 

美瑛町中町  美瑛町農協の二宮尊徳像

美瑛町 美瑛 小学校の二宮尊徳像

美瑛町置杵牛  旧置杵牛小学校の二宮尊徳像

美瑛町 旧俵真布 小学校の二宮尊徳像

美瑛町 旧 宇莫別小学校の二宮尊徳像

美 瑛町美沢 美聖小学校に置かれていた陶製二宮尊徳像

美瑛町東小学 校 早坂正吉氏寄贈のブロンズ像「ぼくもいれて」と「希望」

美瑛小学校敷地 内 美瑛町文化財第2号 旧陸軍演習場廠舎門柱

美瑛町西町  旧旭川第7師団演習場西町兵舎

   美瑛町郷 土資 料館 (現在は郷土学館美宙にわずかの展示があるだけになっています)



 


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