北海道日帰り温泉の旅
平成27年1月18日
January 18, 2015
美瑛町藤野 奉迎館再々訪(現在は
撤去されています。)
明治44年時の皇太子殿下(大正天皇)北海道行啓の折、藤野牧場お立ち寄りの予定となってお り、お迎えする建物として建設されたものです。
結果的には皇太子殿下お風邪とのことで、侍従武官を御差遣になったとのことで、藤野牧場のみな らず美瑛の総ての住民がその栄誉に沸き立
った記念碑とも言うべき建物です。これまでも何度か紹介していますが、今回管理者のお許しをい ただいてつぶさに見学する機会を得たので、
再々ですが、紹介致します、
念のため申し添えますが現在の藤野地区はウイルス病の防疫に最新の注意を払わねばならない種子 馬鈴薯の生産団地となっており、観光客
の立ち入りはウエルカムとはなりません。また、奉迎館も個人の私有地内ですので、観光地として 立ち入りが許されているものではありませんの
で留意ください。
手前の部分は「大正三年奉迎館を使用することは恐れ多いと増築された」と藤野百年史に記載され ている事務所部分と思われます。
下段の間の壁の様子です。新聞が貼られた後装飾紙で内装されていたようです。新聞紙は勿論当時 の
もので現在も残っています。
天井部分は退色していますが、軒の色合いと近似しています。
一部に残る装飾紙も当時のものと思われます。
ホール部分です。
残念ながら見応えのあったであろうポーチ部分は崩れてしまったようですが、その他の部分は原型 を良く留めているのではないでしょうか。
窓は上下スライドする洋風のものです。
奉迎館の記述は以下の二誌に詳しく、当時の模様は美瑛村史、美瑛町史に記述があります。何れも 美瑛図書館で閲覧可能です。
当時の美瑛の人々にとってこの行事は現代では想像もつかないほど大きな喜びであったようです。
こちらは藤野百年史に掲載されている奉迎館の平面図です。
こちら二枚は藤野小史に掲載されている写真です。
大正11年大阪藤野支配人来場記念とされています。
彫刻で装飾されたポーチ部分が見られます。
こちらは大正13年藤野開拓者記念写真とされています、氏名の記載もありましたが、
幾多の苦難を乗り越えて現在に繋がる方たちの名も見られます。
詳細は原本でご覧ください。
藤野隆三彰徳碑についても既に紹介していますが、碑文の読み取りは難しく今回藤野開基百年史に その全文が掲載されていましたので
併せて紹介します。
知人を介して所有者鈴木様の許可をいただき、案内を受
けての現地訪問がとなりました。現在は撤去されていますので、
良いタイミングで現地訪問がかない感謝申し上げます。