北海道日帰り温泉の旅
平成26 年11月23日
November 23, 2014
美瑛町北 瑛第三 産牛馬神社
産牛馬神社は観光目的の走行では決してお目にかかれない立
地にあります。観光名所となっている「のセブンスターの木」駐車場に立ち、
周囲を一望すると丘に拓けた広い耕地の中の小さな杜に護ら
れた社が一風変わった名前の産牛馬神社です。北瑛は開拓の昔、半澤農場
と、もう一つ産牛馬農場が開設されたようですから、その歴 史を伝えている神社と思われます。
明治43年浦島国太郎が入植の同志三浦伴三郎と相計り現在
地に天照大神を勧請して産牛馬神社を創建した。と北瑛百年史
にはあります。
やや左手のこんもりとした杜が産牛馬神社ですが、公道では 繋がっていません。
戦前はこの地で大人相撲、子供相撲、また浦嶋本家納屋で芝 居一座を呼んでの興行もなされたとか。戦後は北瑛神社祭りと合したとのことです。
鳥居の前に倒れた形で境界標が置かれていました。どのよう な境界であったのかも興味をそそられるところです。
こちらは平成12 年に改築された山神の社殿と思われます。
美瑛町内では比較
的珍しい山神ですが、近隣町では石碑として祀られてるものが大半ですが、ここでは石碑は見受けられませんでした。
こちらは古い山神の社殿だったのでしょうか。
地神碑も明治40 年ごろの建立とされています。当初木製で、昭和初期石柱に建て替えられているようです。
浦島、大西、蓼原、三浦でしょうか。
創健の浦島さんの姓は見受けられますが、三浦さんの姓は見
受けられません。
昭和23年の美瑛農協創立総会正組合員名簿では産牛馬17 戸が記録されていて、三浦姓があります。
友人に大動物(牛)の診療をしている太田雅人さ
んがいます。札幌南高校を出て国立大学の獣医出身のエリートですが近年どうも意欲
が落ち気味のようなのでこの産牛馬神社の写真を送ろうと思っている間にさっさと定年前に退職し札幌に出てしまいました。本人には
エリートとしての自覚はほとんどありません。進学高だったので、東大かさもなくば医学部以外は普通の人だったのでしょう。
エリートの地位を捨てた彼は、その分多芸多才で、音楽に、バイクに、放浪の旅にと少年のような夢の世界を羽ばたいています。