北海道日帰り温泉の旅

 

 

 平成26年10月26日

October 26, 2014

 

美瑛町新星御牧(みまき)の地神宮

 

御牧は他の新星地区と同様戦後の緊急開拓事業によって開拓が進められた地域です。この地域も旧 陸軍第七師団の演習地の一部で、

隣り合う上富良野町の清富も七師団の演習地で、戦後暫くは美瑛町として扱われていたようです。

御牧には最大十七、八戸の入植があり、集落入口には馬頭観世音が祀られ賑わいをみせたものの、 現在は二戸の家屋だけが残り定

住者は一戸のみとなっています。

 

 

「新星開拓五十年史」 の御牧の記載です。

丘の町の観光スポット として有名になった新星の戦後の歴史が凝縮されているようにも思えます。

 

 

本線が高台に造られていますので、御牧には本線から坂道を下ることになりますが、美馬牛から続 く美馬牛川で考えると上流部に向かっています。

 

 

美馬牛と美沢21線を結ぶ道路から沢沿いに分け入って御牧地区に入ります。この橋を渡って直ぐ のところに馬頭観世音が建立されていたようですが、

発見出来ませんでした。この先には築年数の進んだ二戸の農家家屋があり、一戸は定住家屋のよう でした。

 

 

 

集落入口の橋を渡って直ぐ左手に農家家屋跡があり、裏手に小さな刈わけ道が丘陵上部に続いてい ます。

 

 

 

 

 

 

 

 

御牧組合員一同

昭和三十一年九月十八日

 

 

 

二戸の農家家屋を過ぎるとスクールバス回転場の標識があり、これから先は林道状態の道が上富良 野町清富に繋がります。
交通量ほぽゼロですが、通れないこともありません。

 

 

戦後の開拓期にこの地を度々訪れ取引もあったと言う美 瑛町在住元青果物卸の服部武夫氏によれば、当時の営業はバイクで、それすら超貴重なものでしたので、
訪問先で多くの人たちが物珍しさに集まってきたと言います。戦後すぐの時代は三輪のトラックは富の象徴だった時代のようです。

 

美瑛町新星 新 星神社

美瑛町 新星開拓碑

美瑛町美馬牛 新 星第一部落の地神

美瑛町 新星妙見  妙見神社と美馬牛旭東地神宮

美瑛町新星 常盤 会館の豊年祈願

美瑛町美馬牛 美瑛町立美馬牛小学校裏 陸軍第七師団演習地水道跡

 

美瑛町北町2丁目憩ヶ森公園 戦後開拓三 十周年記念塔

 

 

 

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