北海道日帰り温泉の旅
平成26年10月12日
October 12, 2014
美瑛町現白金模範牧場放牧地内 置杵牛小学校所属美望ケ原特別教授場跡
標高670mの丘陵は現在400haの草地となって管内酪 農家から預託を受けた多くの育成牛が放牧されていますが、この地にも大正の末に
既に強靭な意志と、大望を抱いた開拓を志す人達の姿が見ら れたのは、驚きに値します。さすがにこの時代、開拓の試みはあまりに困難が
多く全員の退去となっています。
現在白金模範牧場と白金ゴルフクラブがこの広い地帯を占有 していますが、白金ゴルフクラブは今期から営業が休止していおり、白金模範
牧場も、来春からの育成牛預託を止めるとの話が聞かれ、一 帯にはまだまだ多くの試練が待ち受けているように思われます。
美望ケ原特別教授場跡(後方五〇〇m)
設置者 美瑛町郷土資料保存会
美瑛町教育委員会
大正十三年父母が私費を投じて、美望ケ原学園を設置、教育 に当たり、昭和八年に至り村会の決議により置杵牛小学校所属として美望ケ原特別教授場
が設立されることになったと「置杵牛郷土史」には記載があ ります。その後昭和十四年三月住民総てが移転し、廃止となっています。
開校 大正十三年~廃校 昭和十四年
写真の丘陵向こう側に河村、曽我部、真鍋の面々。こちら側
の丘陵に鈴木、高橋の入植があったことになるでしょうか。
美瑛郷土資料4「美望ケ原の思い出
真鍋勉一」には農業の様子を次のように記しています。
トウキビの
一番早く実を着けたものでも種子になるほど完熟したことは一度もなかった。
薯は小さなものが反当り10俵ほどとるだけであり、
豆類についてはビルマ豆がとれるだけ。
年によっては燕麦さえ実らなかったこともある。
「置杵牛郷土史」から。
河村、曽我部、、真鍋などの姓が見られます。この地を離れ てからも美瑛町史に名が残る活躍のあった方々のようです。
「途中の橋18カ所」の記述があります。現在の白金美瑛線 沿いではなく、置杵牛からは川沿いに美望ケ原をめざしたものと思われます。
更に驚く
ことに実は前住者が一人で住んでいたことが記録されています。造材でもしていたのでしょうか。
美瑛町旭高橋忠夫氏にヒントをいただきました。
花園神社は美望ケ 原の開拓に挑戦しその後花園に居を構えた人達が建立した神社です。
置杵牛神社の地神 碑は元々は美望ケ原の地神として祀られ、住民がこの地を離れた後、置杵牛の人々が譲り受けたものです。
当時美望ケ原の 人々は逸早く異変に対応、現在の白金温泉付近にあった畠山温泉の状況を確認したそうです。