北海道日帰り温泉の旅
平成25年8月4日
August 4, 2013
上川町清川 層雲峡陸満
上川町立清川小学校跡 から旧道を層雲峡方面に進んでみました。少なくとも数年前までは住人のいたと思われる建物がありましたが、周辺の耕地跡も全く放置されていますので、
現在定住されてはいないものと思われます、この地の開拓者としてまた農業者として最後までこの地にとどまったと言うより、近隣に仕事があり、この地にあったと考える方が
自然な光景ではあります
旧道から現在の国道を眺めたところです。写真中央のやや光っている場所が国道ですから、新、旧、の国道は間近を並んで走っていることが分かります
養豚場跡です 。清川出身者の話では、養豚場もこのあと掲載の大雪山淡水魚センターも清川開拓当時からのものではなく、後にこの地に移転してきた人たちとのことでした。
「大雪山淡水魚センター」の看板があります。建物も外見はまだ健在ですが人の立ち入っている様子はありません
清川の最も層雲峡温泉側通常陸満と呼ばれている集落から山側に僅かに入ったところで、現在は完全な山林の姿ですがサイロが残っていました。
通常陸満と呼ばれ層雲峡温泉を訪れるバス運転手さんの宿泊所と現在は斜陽化しているドライブインくらいしかないものとおもっていましたが、
知られていない歴史が確かにこの地にもあったようです
通称陸満と呼ばれている地域は清川の層雲峡温泉寄りの端になります。
昭和五十四年、上川振興公社によって建設された「開発の碑」です。清川地区再開発の機運が盛り上がっていたのでしょうか
馬頭観世音の碑がありました。昭和三十四年六月十七日の建立です。ちなみに清川地区に開拓の鍬が下ろされたのは大正五年とのことで、清川小学校は
大正7年8月4日開校、清川(双雲別)神社にある地神碑は昭和三十年の建立です。
個人名の外、造材関係の業者名、建設関係の業者名が多く見られます。この山深い清川地区にあっても僅かの水田は確保でき自給には困らなかったそうですし、
山林、建設の仕事もあって、意外な豊かさを享受していたのではないでしょうか。
国道沿いの撤去された建物跡です
農業者のいなくなった清川地区ですが、地神碑と小さな神社は大切に護られていました
平成25年5月19日、雪どけ直後に訪れたものです。水田の跡も明瞭に確認できます