北海道日帰り温泉の旅

 

 

 

 

平成25年7月28日

July 28, 2013

 

美瑛町上俵真布

 

俵真布開基七十年の碑には「美瑛辺別御料地面積六〇〇町帝室林野局は農地として貸付すべく人 選、該当者百五十名入植許可さる時正に大正二年三月一日、

地名を俵真布と改む」とあります。昭和11年4月上俵真布に駅逓所設置され、昭和19年廃止。

俵真布24線に明徳尋常小学校所属俵真布第二教授所が大正3年12月7日、開設したが、入学児 童は年々減少し昭和19年3月 

廃校となった。ちなみに明徳尋常小学校は朗根内に設置された小学校で現在も明徳小中校として 113年の歴史を経ています

戦後、樺太からの引揚者が入植し、戦後開拓集落として再出発昭和23年11月 俵真布駅逓所の 建物を改造し、俵真布小学校

上俵真布分教場として開校した。昭和27年4月1日 上俵真布小学校開校  昭和39年3月 31日閉校

昭和40年には上俵真布全戸離農

 

こんなところが、上俵真布の歴史のようですが現在上俵真布橋を渡って奥には一軒の家屋もない廃 村となっています。現在の橋は昭和48年11月竣功ですから、

開拓者の利用したであろう橋とは異なりますが、辺別川を渡って直ぐのところに駅逓所、学校、神 社などがあったようです

「美瑛町 上俵真布小 Map 」によれば橋を渡って間もなくの右手に上俵真布小学校はあったことになっています

 

 

 

 

 

 

 

橋を渡って間もなく右側に潰れかけた建物がありました。開拓地の建物が一切残っていない状況か ら考えて、かなり近年まで使用されていたものかも知れません。

その先はニジマスの養殖を行っていた養殖池の痕跡が残っています。

 

 

 

左手は比較的広がりのある平坦地となっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平坦地の右端は小高い丘状になっていて神社への参道があったとネット上に記載があります。

確かにそう思って観察するとそのようにも見受けられます

 

 

 

そしてその頂部分に神社はあったようです

 

 

 

白い茸の群生している木の向こう側が参道のように見えます

 

 

こちらは養魚池跡です

 

 

 

辺別川を渡って直ぐの平坦地から僅かの上りで両側に比較的平坦な土地が広がっています。おそら く大正の入植期、戦後の開拓期に拓かれた土地でしょう

 

 

 

更に進むと突然耕地が広がっていました。遠方に旭岳(2,290M)が望めます

 

 

 

更に進むと後は森林地帯で間もなく上俵真布林道のゲートにぶつかりました

 

 

 

 

 

そのⅠ
そのⅡ

 

美瑛町俵真布 俵真布 神社から上俵真布まで

美瑛町 俵真布を訪ね る

美瑛 町朗根内 朗根内神社

美瑛町朗根内開拓 100周年記念碑

美瑛町上俵真布 上俵真布小学校跡地の 碑

美瑛町上俵真布 明徳尋常小学校所属俵真布第二教授場跡地の碑



行き止まり山間地の最終集落

遠軽町白滝上支湧別 上支湧別神社

美瑛 町上俵真布





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