北海道日帰り温泉の旅
平成25年8月15日
August 15, 2013
Ⅱ
旭川市神楽岡公園二番地 上川神社
長い参道をやや登ったところに社務所があります。足腰に自信のない方は社務所近くに駐車場が
ありますので、そちらを利用しての参拝も出来ます。
手洗石と呼んでいいものか。巨大で美しい巨石です。
「明治27年7月、神楽村の3地区の1つで当時忠別農区と称されていた東御料地の貸し下げが行われると、四国や広島、富山などからやっ
てきた人々によって原始林の開拓が始まりました。」と東神楽町のホームページにあります。そういった入植者の一人だったのでしょうか
第一次世界大戦下の好景気で畑作農家に澱粉成金、豆成金の誕生した時期ですから、献納者もそんな中の一人であったかも・・・・・
上川離宮予定地の標示は神楽岡公園内緑の相談所前にもありますが、いずれにせよ離れた場所ではありません。
福多仲蔵翁顕彰碑
美瑛町俵真布入植三十年間開拓に従事その後旭川で福多木材工業株式会社を起こし・・・・・・と記述があります。
明治生まれの全てが頑強で、徳のある方ばかりであったわけでもないでしょうが、市井にもなかなかの人物が多く
潜んでいた時代なのかも知れません。北海道倒産INDEX1981年1月30日 (金)には「東京商工リサーチ旭川
支店によると、七十億円の負債を抱えて十二月に事実上倒産した福多木材工業(本社・旭川)」の記事がありました。
1981年は昭和56年ですから、碑の建てられて十三年後になります。
上川神社境内社 旭川天満宮
現在はやや古びた地域となってしまった旭町ですが、木材関係を初め旭川市発展の原動力となる多くの産業が集まる
活力溢れる地域として発展してきたようです。財をなした方も沢山おられたのでしょう
北海道特に道北開拓に大きな貢献のあった鍋島直正命、黒田清隆 命、永山武四郎命、が大正二年に合祀されており、
岩村通俊命は平成四年の合祀と記されています
参集殿に設けられた祖霊殿には明治六年頃現在の曙付近に和人として初めて定住し、入植第一号となった鈴木亀蔵も祀られ
秋分の日には祖霊祭がおこなわれているようです
ちなみに永山神社は大正九年永山村名付けの親とも言うべき永山武四郎命を合祀、神社境内に永山武四郎の像を建立しています