北海道日帰り温泉の旅

 

 

平成26年6月5日

June 5, 2014

 

旭川市西神楽(八千代ヶ岡) 聖台ダム建設で美瑛から移転入植した地を探す

 

美瑛町聖台ダム建設は地元の反対運動の中、土地収用法が適用されて住民は未墾地であった八千代ヶ岡に代替地を与えられ林檎の栽培に着手したが、

収穫を迎える頃に栽培品種は市場性を失いまた、林檎の病気の発生もあり全戸離農に至ったとのことです。これまで東神楽町管内の八千代ヶ岡地区

を探索するもその痕跡は発見できず、今回は現在旭川市西神楽のやや古い地図上で「八千代ヶ岡」と標示されている一帯を探索してみました。

 

一帯は丘陵地帯で大規模な圃場整備がなされ、人家は皆無で、通い作による畑作地帯となっています。

 

 

東神楽町栄岡と隣り合う地域に「天照皇大神」と「馬頭観世音」の碑が建立されていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

馬頭観世音碑発起人の「寺林幸男」は美瑛聖台ダムの湖底に沈んだ地域の方と同じですが、「上原勝太郎」は確認できませんでした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「美瑛昭和蔬菜組合」の看板のついた農機具収納庫が唯一付近の建物です。

聖台ダム立ち退きにより入植した人々は農協も美瑛農協に属し、離農後の土地売却先もその一部は美瑛農協関係であったとのことですから、

そういった歴史を踏まえての現状とも考えられます。

 

 

 

昭和18年 神楽村から東神楽村が分立する際、東神楽、志比内の全部と千代ヶ岡、八千代ヶ岡の各一部が裂かれたとのことです。

八千代ヶ岡は元々は現在の東神楽町と旭川市西神楽に渡る広い地域であったようです。

 

 

 

東神楽町千代ヶ岡 聖台開発記念碑・旭川市西神楽 聖水豊土の碑

美瑛町 聖台ダム

美瑛町聖台ダム 聖水神社

美瑛町赤羽 赤羽六代地蔵尊(聖台ダム関連)

 

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