北海道日帰り温泉 の旅

 

 

平成25年8 月4日

August 4, 2013

 

愛別町字東 町  字伊香牛開拓記念碑

 

愛別公園、愛別町字愛別公民館分館、字 伊香牛開拓記念碑 が一箇所にまとまっています。

 

 

公民館愛別分館には「愛別町郷土芸能伝承館」 の看板が掛けられていました。愛別町指定無 形文 化財愛別岐阜獅子神楽が伝えられているようです。

岐阜団体五十五戸の入 植によって切り拓かれた歴史が伝えられているのですね

 

 

 

 

公園の隅に当たる場所 は小さな杜となっていて、どうやらここが白山神社跡かと思わせる光景ですが、確認は出来ていません

三基の開拓記念碑と地 神碑が建立されています

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

字伊香牛と称した当地は明治二十八 年四月二十日岐阜団体五十五戸中下記先発者十四名移住白山神社を中心に一致協力開拓に着手したのに始まり次の歴史を経て

現在四百余戸に至る団長杉ノ下  茂・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

明治32年4月   伊香牛尋常小 学校開校

明治38年6月   三号線渡船場 渡守として永年勤続した鷲見鉄之助氏濁流に飲まれ殉職す

明治38年7月  下愛別尋常小学 校と合併分教場となる

大正2年9月  6線に吊橋完成し 本町との交通便利となる

大正11年11月  石北線愛別駅 まで開通する

大正13年5月   開拓助産婦と して貢献あった阿部リウ氏死去

昭和5年9月   伊香牛分教場閉 鎖さる

昭和15年2月  字名改称字愛別 となる

昭和37年6月  白山神社愛別神 社に合祀移転す

昭和42年9月  秋季地神祭に当 り七十周年を記念してこの碑を建立す

昭和四十二年九月

字愛別住民一同建之

 

現在伊香牛の地名が残るのは「当麻 町伊香牛」と「伊香牛駅」ですがいずれねも当麻町管内です。愛別町出身者にも尋ねてみましたが、愛別に伊香牛の地名が

あったことは知りませんでした。明 治 30年鷹栖村から分村している歴史ですが、当麻町との係わりも推測できる地名です。伊香牛尋常小学校がこの地にあったの

も現在では忘れ去ってしまった歴史 の一こまになっているのではないでしょうか

 

 

 

 

 

 

 

地神碑は大正二年の建 立です

注連縄とイチイの枝の 組み合わせはこの地域の慣わしでしょうか

 

 

 

「昭和37年6月   白山神社愛別神社に合祀移転す」とのことですから、白山神社に奉納されていたものでしょうか

大正十四年奉納のもの でした

 

 

  

 

白山神社は合祀されて しまいましたが、現在も地神祭が行われているというこの杜はとても良くお手入れが行き届いており、住民の気持ちが現われているよ うです

 

 

なんで伊香牛が当麻町と愛別町 の両 者に名付けられていたのかは筆者の数年来の疑問でしたが、実はもともと一つの地区だったそうです。
愛別出身で当麻町在住の佐伯美男さんにお聞きしました。

 

愛別町 愛別神 社

愛別町豊里  愛別 教育発祥の地の碑

愛 別町伏古 伏古開拓記念碑

愛別町 字中 央 中愛別開拓記念碑

愛別町愛山 愛山 小学 校 愛山開拓記念碑

愛別町安足間(愛 山)  愛山神社と百田宗治詩碑及び愛山湧水

愛別町厚生  厚生 の地神碑

愛 別町 徳星 又陸志部落を訪ねる

愛別町愛山 安 足間 駅
           
愛別町 愛別 協和 温泉

愛別町 き のこ と湯の里愛別協和温泉訪問時のランチ

愛別町愛山 御田 神社

愛別町旭 山  旧愛別町立旭山小学校


当麻町伊香 牛   伊香牛駅と旧伊香牛小学校

 

 

 

 

 

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