北海道日帰り温泉の旅
平成25年8月13日
August 13, 2013
比布町北3線11号 稲作(水田)発祥の地の碑と開拓記念碑
市街地以外には地区名のない比布町で平坦地に水田の広がる ばかりの町ですから、町外のものにはポイント到着に難のある場所かもしれません
開拓碑
明治二十八年五月香川県三豊郡より讃岐団体長合田鶴造氏等四十四戸は北三線から北五線まで十 号から十三号道路に渡る地域で千古斧銊の原生林
の中に入地と困苦欽乏に耐えつつ開拓の聖業が始められた
碑石の地は明治三十五年田中亀吉氏が小川を利用し水稲試作に成功した所で之が本村水田耕作の 起源である
今や本村二千五百町歩の美田は此の団体員の労苦に始まるもので開基六十周年を迎えた今日地区 現住者相諮り先人の功績を永に顕彰する為に
記念碑を建立する
久保田 信次郎 撰
砂留 保夫 謹書
讃岐団体長合田鶴造氏はほか三人の開拓功労者とともに比布神社礎の宮に奉祀されています。比 布神社の説明板には「同志三野寅市等と謀り六十五戸の
移住団体を組織」と記されていました。撰文の「久保田」さんも団体入植者の子孫の方かもしれ ません
昭和三十一年八月 建立となっています
団体長と副団体長一名の姓はありますが、副団体長「三野」 姓が見つかりません。
百年には、凄まじい歴史が刻まれているのでしょう
旭川市上雨紛 上川水稲発祥の地の碑には「上川の稲作は明治ニ十四年青森県人
杉沢繁吉氏がこの地に五アールを開田し約二十三キログラムを収穫したことをもってはじめとする。」
と記されていますまた、旭川市 永山 永山神社の水田発祥の地の碑には「明治24年 水稲試作者 永山屯田兵山口
千代吉、屯田家族加藤米作」と刻まれています
比布での試みは案外遅かったのですね
こちらには特別協賛者名の中に「三野寅一」の名がありまし た。碑にある「一」が使われています。子孫の方でしょうかね
比布町北3線11号 水田発祥 の地の碑と開拓記念碑