北海道日帰り温泉の旅

 

 

 

 

平成26年3月2日

March 2, 2014

 

美瑛町置杵牛 おだいし堂

 

美瑛町の開拓は当初美瑛川とその支流辺別川、宇莫別川、そして置杵牛川の流域に沿って入植 が行 われており、置杵牛は明治37年の農場開設以来

早くから米つくりに心血を注ぎ必ずしも農業条件の恵まれているとは言えないこの地で早くか ら美 瑛町の米どころの地位を確立していったようです。一時

は現在人家のある最奥の地点より更に山深く、そして宇莫別川に挟まれた丘陵地帯にまで開拓 が進 んだようですが、現在は置杵牛川沿いの地域にの

み水田、酪農、ハウスなどの農家が残っています

 

大正初期御大師堂の掛図を持って移住、慰労と信仰を兼ね大師講が創始され、昭和五年四月餌 取九 郎左衛門他22名によって御大師堂が建設された

と郷土史にはあります。二股共栄 勢至観音堂、横牛神社境内の庚申塔、美沢の観音堂なども 同様 の趣旨のものであろうと思われますが、この季節にも

関わらず除雪、屋根の屋根の雪下ろしが完璧になされている姿は現在も人々の心に歴史が生き 続け ている記しかと感動させられます

 

 

 


美瑛町教育委員会「続祭りと祈り」には次のような一文があります。
お大師像
昭和15年頃石工中原義雄が創り寄進し、設置したのは坪木初太郎等ほか特志者によった。
手水鉢は協栄大師堂のもので、昭和5年8月吉日、寄付人は餌取タミ、平間キク。


残念ながら手水鉢は雪に覆われています。


 

 

 

 

 

 

 

この記事は古くからの知人で置杵牛で農業を営む餌 取勝 美さんにお話しを伺いながら作成しました。


美瑛町置杵牛  置 杵牛神社と地神碑

美瑛町 置杵牛 開拓 百年記念碑 旧置杵牛小学校

美瑛町 置杵牛の 奥で 見かけた 鎮守の杜と社殿のない神社

美瑛町 置杵牛  明治 神社

 

美瑛町美 沢 15線の観音堂

美瑛町二 股共 栄 勢至観音堂

美瑛町横牛 横 牛神 社境内の庚申塔

 

 

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