北海道日帰り温泉の旅
平成26年9月7日
September 7, 2014
美瑛町美瑛神社 戊申青年団発起の地神碑
戊申詔書は「明治41年、その年の干支である戊申に名付けられた詔書で、日露戦争後において、にわかに台頭してきた自由主義・個人主義、さらには
社会主義の思想的潮流に危機感を抱いた第2次桂太郎内閣が天皇制に立脚する国民道徳を強化する思想対策の一環として天皇の名において制定
したもので華美を戒め、上下一致、勤倹力行して国富の増強にあたることが強調された。」とあります。詔書の意を体して幾つかの戊申を冠した青年団
が組織されていったようです。
発起 戊申青年団
大正十三年建之
美瑛に「戊申」のつく青年団は幾つかあったようですが、ここは「美瑛戊申青年団」でしょうか。
二宮尊徳の教え、教育勅語は現在でもかなり多くの人々の記憶に残っていると思われますが、戊申詔書についてはほぼ若い年代の意識からは消え去っている
のではないかと思います。当時の「善良な臣民」の行動を支えたのは教育勅語、戊申詔書、そして二宮尊徳の教えだったようです。ある意味日本の戦後復興を
支えた道徳でもあったのですが、軍国主義を支えたとの批判も当然残ることになり、多くの記念碑的構造物は消えていったものと思われます。
美進小学校に設置されていた奉安殿は下宇莫別神社本殿となって残っています
二宮尊徳の教えは美瑛町では、報徳会、その後報徳社に引き継がれ現在も農業人の中に伝えられています