北海道日帰り温泉の旅

 

 

 

平成26 年8月15日

August 15, 2014

 

旭川市嵐 山 嵐山公園北邦野草園 復元されたアイヌの住居「チセ」

7~11世紀の擦文時代までのアイヌは竪穴 住居で土器も手作りであったものが、12世紀に入ると今回のテーマのチセ
へと変化し土器製作の技術も失われていきます。和人との交易でその必要性が無くなったのでしょう。




旭川市旭岡側に駐車場が設けられていますが、オサラッペ川対岸が北邦野草園になっており、一般車両は進入できません。
 

 

 

 


嵐山史跡案内

チカブニの説明で、もともと鷹栖と近文がアイヌ語の意訳、音訳の違い であると書かれています。
「昔は鷹栖も含めた広大な近文地区だった。」は当たり前だったんですね。

参考までにこんなところにも近文の名が残されています。
旧旭川市立近文第三小学校跡

 

 

 

 

今回は主たる目的ではないので、紹介はおさわりだけですが 「アイヌ文化の森伝承のコタン資料館」はアイヌ文化に関する陳列がなされています。

 

 

 
アットゥシ

木の繊維から造られた布。オヒョウの内川から作られている そうです。

糸としてははイ ラクサからも繊維をとっています。ただイラクサも種類がたくさんありますので品質の良いものは限られることで しょう。

 

 

 

薬剤として用いられた植物。などの展示がありました。

ホウの実の自然な状態での結実はこちらでご覧になれます。

 

 

 

今回の目的チセは資料館の直ぐ先に再現されています。

チセは擦文時代を過ぎてからのアイヌの住居です。それまで は竪穴住居で、アイヌ独特の近代住宅と考えることができます。

旭川市神居古潭  原住人竪穴住居跡


 

 

チセ(伝統的なアイヌ住居)

チセは、13世紀以降アイヌの人びとが住まっていた平地式 の住居です。それ以前は本州

り東北地方や信州などの農民が住んでいたのと同じカマドを もつ竪穴住居に暮らしていま

したが、13世紀以降、本州で竪穴住居が平地住居に移り変 わるのと同時に、アイヌの人び

との住居も平地住居に変わっていきました。

チセはカヤ(上川地方ではササ)で屋根と壁をふいた一間だ けの住居で、これに玄関兼

物置の入口小屋が附属しています。その構造は、江戸時代の 随筆家・鈴木牧之が現在の新

潟と長野の県境にまたがる秘境・秋山郷でみた農民の住居と たいへんよく似ています。住

居のまわりには倉庫、クマ祭りのために飼育するクマの檻、 祭壇、炉の灰捨て場、便所な

どが設けられました。

チセは大きな炉のまわりの土間に枯れ草を敷き、その上にガ マなどで編んだゴザを敷い

て居住空間としていましたが、地域によっては土間の上に高 いベッドを設けた住居もあり

ました。窓は入口から見て奥壁に1カ所、右手に1カ所の2 カ所が設けられるのが普通で、

奥壁の窓は神々が出入する神聖な窓とされていましたが、道 東などでは屋根の煙抜き以

外、窓のないチセも知られています。地域によってチセの構 造は多少異なっていたようです。

旭川市博物館

 

 

 

穴でも掘って一杯になったら移動して埋めたのでしょうか。 説明はありません。
いっぱいになったら埋めて移動するだけのようです。2021.07.11

 

 

 

竪穴住居は湿度と換気に大きな難があり、中世の間に姿を消 していたとされます。このチセも平地に建て
られています。入り口を入って直ぐの部屋は直接外気を取り込まない工夫でしょう。

 

 

 

 

 

炉は大きなものです。神に近い奥が家長の座でしょう。炉の 火を絶やさないようにして、地温を下げないようにしていたと聞いたこと
があります。長い木材をそのまま使えるよう玄関方向の仕切りが取り払われていると記載されている情報もありました。

 床暖付き暖房、ガスレンジ、燻煙器、照 明、乾燥機、時に文字盤なんでもここが中心になったことでしょう。

 

 この窓は外を見るのに使用してはいけない そうです。神様専用。
アイヌの人々はプライバシーに配慮が高かったのでしようか。

 

 

奥から玄関方向。

 

 

 

 

 

内部から煙り出し方向。

 

 

 

住居周囲の僅かな畑でとれる粟、稗、は穂摘みで収穫乾燥し 大きな袋に入れプーで保存したと旭川市博物館の説明にはありました。

臼を使い杵で脱穀し祭事に欠かせないお酒や団子を作った り、粥にして食したようです。何か心もとない気もしますが、多くを蓄

える生活ではなく、豊富な動植物が人々の生存を可能にして いたのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 写真の土間は雨水の侵入の跡がありますが、実用の場合は炉の火は年中消えることなく土間は一種の床暖房状 態であったようです。

 

 

 

 

 

 

数軒から十数軒のチセで集落を形成していたようです。

 

旭川市在住の鈴木悠里子さんの希望で再編集を試みました。彼女の受験用の「歴史」なら東大の入試もクリアーでき る成績でした。
でも、アイヌ民族の歴史となると実は私たち凡人と全く一緒。つい最近まで黒曜石を割った矢じりと縄文土器で生活していたのでは
と冗談ではなく思ってしまうのが現実です。反省の意味も込めて大幅に再編集しました。  2021.07.13



 

そのⅠ
そのⅡ

実は筆者の今回の テーマは、「屯田兵家とチセどちらが過ごしやすいかをこの目で確認しよう」でした。

士別市西士別 町 士別市博物館敷地の屯田兵屋

アイヌの食 料、医薬品として大きな役割を果たしたオオウバユリ

旭川市クリスタールホー ル   旭川市博物館に展示されている復元した竪穴住居

東川町郷土 館に復元されている開拓着手小屋

旭川市亀 吉 鈴木亀蔵居住の地の碑(定 住和人第一号)


 


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