北海道日帰り温泉 の旅

 

 

 

平成26年8月3日

August 3, 2014

 

士別市西士別 町 士別市博物館

 

大正四年建設の士 別市 旭川市公会堂を移築し連絡通路で結び一体で利用できるようになっています。

郷土資料館をやや 大き くしたような内容ですが、地方の郷土館が次々閉館されている状況の中、

さすが「市」、特 別展 も開催し健在です。

 

 

 


昭和45年の柾の単価表です。

遠軽町旧白滝 小さな産業遺産・山崎家の澱粉工場跡でお世話になった 山崎 裕由氏に「家業として柾の工場も経営していた記憶がある。」
と伺いました。もう少し機械化したものだったのでしょうか。


美瑛町旭の美瑛町旭百年史には、地域の柾製造と吹き替え仕事をしていたものが、昭和35年トタンの普及により廃業したと 記されています。
こちらは昭和45年の価格表です。道内でもこんなに違いがあるのでしょうかね。


ちなみに湯で木材を柔らかくして、機械で製造したものは耐用年数が何割も 短くなるそうです。


 

 

 

 

 

 

 

 

人々の記憶から消 えよ うとしているお酒を入れた陶製の容器です。のん兵衛が涎を流したであろう往時を彷彿とさせます。

美瑛町の建造物探 索の 際見つけた醤油、若しくは焼酎の甕はもう少し簡素なものでした、

 

 

 

「天塩軌道株式会 社発 起人 大久保虎吉他が士別 - 上士別の馬車軌道敷設が出願」と士別軌道の解説にありますが、大久保虎吉は美瑛町大久保に

農場を開いた人で もあ り、現在でも美瑛町に「大久保」の地名が残されています。

 

 

 

旭川周辺の町で見 受け られる現存する二宮尊徳像の中では最も古いものでした。よれた衣服の様子、一心に書を見つめるやや険しい顔、書を持つ手元

などに後の像にな いリ アリティを感じます。

 

 

 

元内閣総理大臣で 当時 内大臣の斎藤 實まことは昭和11年2月26日、所謂2・26事件で暗殺されています。

 

 

士別市上士別、当 時上 士別村岡崎医院の模型が展示されていました。現地には門柱と塀の一部が残っています。

朝日町これまた 堂々た る地域医療に尽くした佐藤医院の建物が遺されています。

 

 

 

輪島功一は士別市 の生 んだ英雄のようです。

故郷の子供達に囲 まれ て満面の笑みの輪島功一の写真が展示されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

士別公会堂

士別公会堂は、大 正四 年、大正天皇の即位御大典事業として建設された。

全長14m、延面 積 464㎡、石造りの形態を木造で模し、正面屋根にフォールト状の

架構、ドーマ窓を 配 置、ファンライトのある正面入り口、さらに上げ下げ窓を採用

するなど西洋建築 の粋 を集めたもので、当時道北一とうたわれた。

大正時代から、昭 和 40年新庁舎が完成するまでの50余年にわたり町政、市政の

重要問題を論ずる 議場 として使用されたのをはじめ、戦前は町民唯一の集会所

として、戦後は公 民館 として市民に親しまれ活用され、士別を象徴する建築物で

あった。

新庁舎完成後は、 その 役割は終えたが、歴史的価値から、昭和59年士別市文化

財に指定された。

 

 

 

 

 

  今回筆者の一番のお目当ては下記二つの建造物でした。博物館駐車場前に 移設され、こちらだけなら無料です。

最 も、博物館入館料も100円と格安で利用できます。

 

士別市西士 別町  士別市博物館敷地の奉安殿

士別市西士 別町  士別市博物館敷地の屯田兵屋

士別市 上士 別 上士別神社と岡崎医院跡

士別市 屯田 兵家 族上陸の碑と剣淵の船着場

美瑛町大久保 協生  地神宮と飛翔の碑

美瑛町大久保 の石 倉

美瑛町置杵牛 で見 かけた醤油甕、若しくは焼酎甕

遠軽町 旧白滝 小さな産業遺産・山崎家の澱粉工場跡


美瑛町郷土資 料館

鷹栖町郷土資料館

当麻町 当麻町郷土資料館

士別市西士別 町 士別市博物館

新十津川町開拓記念館

名寄市 北国博物館

東川町東町 東川町郷土館

旭川市西神楽・西神楽公園内 西神楽郷土資料館



 



 


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