平成26 年8月3日
August 3, 2014
士別市多
寄町 粘土客土発祥之地碑と地神さま
泥炭は地力乏しく酸性強くおよ
そ作物栽培不適な土地ですが、明治41年富生藤吉(ふ しょうとうきち)は粘土客土に着目して、著しい
効果のあることを確認したと記されています。勿論、明渠、暗渠、の排水、水利と総合的な土地改良がなされなければ水稲
栽培の
成功はないのですが、同志と図って上川管内多寄土工組合を組織、造成水田二千六百町歩(隣接地域併せ三
千二百五十町歩)を達成し
ています。大正7年のことです。
筆者の居住する旭川市のお隣美瑛町の聖台ダムが旭川の聖台千町歩を灌漑し巨大プロジェクトとされています。こちらは昭
和12年
です。
その後の調べで富生藤吉氏は上川
で水稲栽培に初めて成功した杉沢重吉とともに試作を行った富生貞吉の子息で、父の代に忠和から
多寄に移住していたようです。父貞吉は上川で初めての稲作栽培に成功し、子息は塩狩峠を越えたところで大事業を成し遂げたの
です
から、驚嘆に値します。 2021.09.12 追記
粘土客土発祥の由来 発見者 富生藤吉
明治四十一年この地士別市多寄町三十六線西十二番地の水田 に粘土塊を客入して土地改良に著しき効果のあることを発見し米の増産とその確保に
貢献せり
昭和三十四年十一月
故富生藤吉顕彰碑建設期成会建之
元北海道土地改良課長寺田真一選書
筆者は一度転職、それでも満足できず脱サラ自営の道に入りました。三度目の世界でこれが最後の仕事にな
りそうです。富生藤吉
さんがここまで頑張ったのはやはり土地に対する愛着が半端なものではなかったからではないかと思います。こっちよりあっちが
良さそうだなんて考えもしなかったのではないでしょうか。私も少し仕事の神髄を分かりかけてきたように思います。でも、既に
手遅れの年代には入っています。神様ごめんなさい。
旭川駅 ー 旭川四条駅 ー 新
旭川駅 ー 永
山駅 ー北
永山駅ー南
比布駅 跡ー 比布駅 ー北比布駅跡ー 蘭留駅 ー
塩狩駅ー和寒
駅ー剣淵
駅ー士別
駅ー下
士別駅跡ー多
寄駅ー瑞
穂駅ー風連駅ー東
風連駅ー名
寄駅
士別市多寄町日向 リニューアル日向温泉