北海道日帰り温泉の旅
平成26年7月27日
July 27, 2014
東川町幌倉沼 旧東川第四小学校再訪
旧東川町立第五小学校は「北の住まい設計社」が施設利用中で、現在も良く状態が保たれていますが、こちらは利用される
こともないまま時の流れにまかせているようです。それでも地域の自然、風景と見事にマッチして、人々に存在だけで安堵の
気持を与え続けているのでしょう。
封建的な制度を支えたとして、戦後殆ど姿を消した尊徳像ですが、この地には閉校の昭和62年まで確り遺されていたようです。少なくともやや条件の厳しい
この地を美田沃野に切り拓く過程では大きな心の支えとなった思想、観念であったのは間違いありません。地域の良く手入れされた水田、環境は現在も人々
の中にその流れのようなものが息づいているように感じます。
二宮尊徳先生幼時之像
組み込まれた「紀元二千六百年記念」の石碑は材質から考えて後に改修されているものでしょうか。
現在「紀元二千六百年記念行事」の意味を瞬時に理解できる人は極、少数であろうと思われます。昭和15年に神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝った
国民総動員の行事であり、日中戦争のさなか物資も不足、陶製の尊徳像となったものでしょう。美瑛郷土資料館にも陶製の尊徳像が保存されていたそうです
が、現在閉館中で再開は未定です。
校舎右側に体育館があったようですが、現在は残っていません。火災で焼失した様子です。
黒板が二つに仕切られています。複式学級として使われていたのでしょう。
東川第四小記念碑
碑文
明治39年3月寺小屋式に開校し
明治41年東川第四簡易教育所認可
大正2年東川第四小学校と称し変遷を重
ね81年の歴史と伝統に輝き偉材737
名を世に送り 昭和62年3月閉校
住民一同地域の灯を惜しんで建立する
東雲地区住民集会所<東雲町内会>の表示もあります。
道路を挟んで地域会館横に建立されている忠孝の碑です。こちらも皇紀二千六百年記念 紙谷直吉 と記されていました。
幌倉沼には縄文後期から晩期の大規模墳墓遺跡があったとのことで、郷土館で紹介されていますが、公開されているものではないようです。