北海道日帰り温泉の旅
平成26年7月13日
July 13, 2014
美瑛町福富瑛進 陸軍第七師団演習地監的壕跡
「防空壕」とか「トーチカ」とかかなりいい加減な表現で呼
ばれているようですが、射撃や砲撃の着弾点や命中率を確認するため造られた施設で、
監的壕と言われる施設であったようです。三愛・水沢・福富・新星・美馬牛そして現在の上富良野町の清富も当初は陸軍管理下で美瑛町の範疇
であったとのことです。
丘陵の稜線上を走る農道横にありますが、一般的には観光で
利用される路沿いではありません。筆者は今回三度目の訪問でようやく目的地を
確認できました。観光ポイントではありませんので、長靴、軍手を持参する必要があります。
巨木脇のこんもりしたぶどう蔓で覆われている部分が監的壕 です。
藪を掻き分けて進むと、壕の入り口と銃眼が見えました。
壕の左側に出入り口があり、現在も内部への立ち入りが可能 ですが、中は真っ暗の状態です。
入り口は真っ直ぐ進み右に90度曲がる構造です。爆風の直 撃を避ける意味合いでしょうか。
内部左側はベンチ状にコンクリートが突き出た部分がありますが、到底快適 とは程遠いものに思われます。
銃眼側にもコンクリートの突き出しがありますが、こちらは 肘置きのようです。
天井部分も確りとしています。
内部は方形、肉盛りをして丸い壕がつくられているようで す。
旭川市内に掘られた多くの防空壕が、木製の支柱天板で土を 被せただけのものだったそうですが、さすがにこちらは鉄筋コンクリート製です。
監的壕付近から見た現在の周囲の眺望です。
銃眼から見えるであろう方向の現在の姿です。演習で標的と なる構造物も作られていたのかもしれませんが、現在は平和な農村風景だけが広がっています。
美瑛町内の戦争遺 跡として代表的なものとしては、次の四箇所が知られています。
美瑛町美馬牛 美瑛町立美馬牛小学校裏 陸軍第七師団演習地水道跡
美瑛小学校敷地 内 美瑛町文化財第2号 旧陸軍演習場廠舎門柱
戦前の陸軍管轄地。
忠魂碑、戦没者慰 霊の碑、また小山の周辺には戦中に建立された馬魂碑、昭和五十二年の建立の美瑛町開拓馬記念之像などがあります。
元霧多布の人太田 順妙尼により創立された広妙教会の人々が白金街道から不動の滝までを開発。太田家が終戦後平和郷の開拓に従事した縁で、元の師団山
平和郷にあったも のを移設したとのことです。