北海道日帰り温泉の旅

 

 

 

 平成26年7月13日

July 13, 2014

 

美瑛町中町 美瑛町農協の二宮尊徳像

 

実は東川農協の前でも二宮尊徳像 と遭遇、かつてどこの小学校校庭にもおかれていた二宮尊徳像ですが、このところはすっかり姿を消してしま

い思わぬ所で復活を遂げていました。

 

 

 

 

美瑛町報徳社が創立五十周年を記念して建てたものでした。

同時に「美瑛町農協創立六十周年記念事業」の文字もあり、報徳社がほぼ組合員によって構成されていることがうかがえます。

 

 

 

美瑛町農協組合員戸数が521戸で報徳社社員224名は驚くべき数です。古い体制を支えた報徳思想ですから、戦後の歴史の中では否定的

に捉えられることも多かったのではないかと思いますが、現代ではまた時代にあった解釈もあるのかも知れません。

 

 

 

以下はこれまで筆者が旅の途中に出会った二宮尊徳像です。

下左は、旧宇莫別小学校に残されている二宮尊徳像、右は旧置杵牛小学校に残っているものです。元々あったであろうものは戦時供出され

、戦後篤志家によって寄贈されたものです。夫々昭和28年、昭和60年に建てられています。

 

宇莫別小学校の像を見たとき、昭和28年の建立と知って、まだまだ物資の十分でない時期に寄贈された上野金太郎さんとはどのような方

だったのか興味を持ったのですが、未だ未解決です。

 

    

 

こちらは上富良野町旧上富良野町立里仁小学校跡に残るものです。昭和21年の建立です。

さすがに、人々の懐も、物資も寂しい限りの時代であったのか、石造です。

それでも、精一杯の気持ちで建てられたものと思われます。

 

  

 

こちらは東神楽町志比内小学校にあるものです。紀元二千六百年記念とのことだから、太平洋戦争前年昭和15年の建立です。

こちらも石造です。「紀元二千六百年記念」と記されているだけで、時代を感じます。

プレートの一部の文字は消されています・時代の感覚とずれが出ているのでしょうか。

 

 

左は東川町東雲地区旧東川町立東川第四小学校の像。右は東川町第三小学校の像です。

旧東川町立東川第四小学校の像は陶器製のように見受けられます。

東川町第三小学校のものは石造です。 こちらもプレートの文字の一部が削り取られていました。

記念行事の趣旨自体が現在では万人の共感を得るものではないということでしょうか。

 

  

 

左は東川農協、右は旭川市旭正の旭川第二小学校。比較的新しいもののようで、同一の方が寄贈されたものでした。

 

  

 

こちらは美瑛町俵真布旧俵真布小学校です。さすが報徳社のある美瑛町内で現在見かけるものはほとんどブロンズ製ですが、

郷土資料館には陶製の尊徳像が置かれていたとのことです。(現在経閉館中)

 

 

左は芦別市黄金 旧黄金小学校。

昭和14年篤志家と部落一同寄贈の後、三度再建されていますが、最初は部落一同。後二回は校下有志一同です。

一つの価値観、思想で纏まっていた時代から、多様な時代への変化を感じます。

右は上富良野開拓記念館に残るもので、石造と思われますが、何より台座の豪華さには圧倒されます。

 

 

 

 

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