北海道日帰り温泉の旅

 

 

 

平成26年7月6日

July 6, 2014

 

 

美瑛町丸山公園 故砲兵伍長勲七等功七級大久保捨次碑

 

どのような経緯でかくも巨大な碑が建立されたのか実のところ不思議に感じていたのですが、時代の高揚感のようなものが原動力になっているのでは

ないでしょうか。昭和7年関東軍は満洲全土をほぼ占領、怒涛の勢いで海外進出が続いていた時代、大久保捨次の戦死は報道でも大きく取り上げ

られ、碑建立の機運は高まっていったものでしょう。

 

 

野砲兵第七連隊長早速廣吉書

 

 

 

昭和六年第七師団入営、昭和七年日支事変出征、昭和八年満州国熱河で戦死、と略歴が記されています。

「大久保遺族建之」と記されていますが、その後の大戦も含めてこのような碑が建てられている例はありませんから、美瑛の人々の思いが凝縮しているもの

ではないかと推察されます。

 

 

忠魂碑 戦没者慰霊碑 は丸山の頂に、大久保捨次碑は僅かに距離を置いて配置されています。忠魂碑は大正五年六月と最も早く建立されています。

早くからこの地を英霊の慰霊の地とする構想であったものと思われます。

 

 

 

現在の中心部に創設された小野農場に山形県人三沢藤助ガ入植したのが、中心部では最も古い入植とされていますが、

美瑛の歴史を見続けてきたであろう三沢藤助寄進の灯篭には感銘を受けます。

 

 

 

        

 

丸山公園は忠魂碑、戦没者慰霊碑が鎮座する美瑛の英霊を祀る公園として整備されています。

美瑛町丸山公園

大久保捨吉の碑のように個人の戦没者を記した碑は管内では極めて珍しいのですが、小規模なものは上旭正にも遺されています。

兵卒では功六級が最上位とのことです。

旭川市上旭正 金刀比羅神社の勲七等功七級故中川吉三郎の碑

 

   

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