北海道日帰り温泉の旅

 

 

 

平成26年5月18日

May 18, 2014

 

美瑛町美園 山間の戦後開拓地「美開」につづく一帯

 

幌内山地に接近する山間の地に拓かれた開拓地ですが、現在 は定住者皆無となり作業小屋が一棟あるほかかっての人々の暮らしを思い起こせる姿

は残されていませんでした。現在は広い一帯を含めて総て美 園地区とされていますが、開拓期は美開、中ルベシベ、美園の一部となっていた地域のよ

うです。

この山間の地で見かけた唯一の廃屋ですが、この地はかって 中ルベシベと呼ばれた美開と接する地域です。開かれた耕地は標高三百メートル後半で

美瑛町内では放牧、採草地を除けば最も高地になっているこ と、地理的に閉塞した条件であることが人々の定住を躊躇わせたのでしょう。耕地としては

大規模な再整備がなれ、近代的な農地に再生されています。

 

 

 

 

昭和46年ころから、美瑛市街に居住しての通い耕作となっ ていったとのことですから、昭和30年代若しくは40年をそう過ぎない年代の建築だと思われます。

簡素ですが、耐寒性を考えてのブロック造りで地区の人々憧 れの住宅だったのではないでしょうか。

それにしてもこの高台で用水の確保は容易だったのでしょう かね。

 

 

 

 

 

 

 

幌内山地方向。

 

 

 

中ルベ方向から美開方向を望む。作業小屋が設けられていま す。

 

 

 

ルベシベ方向。ルベシベ川と山林が一体感を遮断しています が、近年の基盤整備で見通しが格段に良くなって当然開拓期の光景とは異なっていることでしょう。

 

 

 

礫混じりの砂地でしょうか。

 

 

 

野生動物対策の電牧が張られています。

 

 

 

 

 

 

「五稜開拓五十周年記念誌」によれば瑠辺蘂川とオマン川の 合流点付近に小学校があったようで、今回も付近を探索してみましたが、残念ながら

全く痕跡も確認できませんでした。周囲は既に農地としての 役割は放棄され山林となっています。

 

 

「美瑛町百年史」によれば大区画に設置されたのは

美園小学校

昭和22年十二月開校 昭和45年閉校

152人の卒業生を送り出しているようです。

 

 

こちらも今回探索対象とした

美開小学校

昭和30年4月15日美瑛町立西美小学校美開分校として開 校

昭和47年3月31日閉校

の歴史が記されていますが、実は学校所在地は高台の美開集 落を下ったルベシベ第一だったようです。

こちらも痕跡すら不明です。

 

 

美開分校の本校と なっていたのは瑠辺蘂の美瑛町立西美小学校です。

美瑛町字ルベ シベ第2 旧美瑛町立西美小学校

美園、五稜開拓地 の中核となったのは五稜小学校です。

旧美瑛町 立五稜小学校

美瑛町五稜開基五 十周年記念碑

美瑛町北町2丁目憩ヶ森公園 戦後開 拓三十周年記念塔

美馬牛に近いこの 地は観光の人気スポットとなっていますが、かつては陸軍演習場であり、戦後の開拓地です。

美瑛町 新星開 拓碑

美瑛 町福美沢 福富開拓五十年記念碑

上俵真布も戦後、樺太からの引揚者が入植し、戦後開拓集落として再出発するも、昭和40年 には上俵真布全戸離農の歴史があります。

美瑛 町上俵真布

美瑛町俵真布 俵 真布神社から上俵真布まで

 

inserted by FC2 system