北海道日帰り温泉の旅


平成26年5月4日

May 4, 2014

 

旭川市神居町雨紛 雨紛小学校開校記念碑(令和4年再編集)

 明治28年 公 立忠別尋常小学校雨紛分校として開校 修業年限
3年」とのことです。開校記念碑は昭和35年の建立です。

 

 

 

 

 

雨紛小学校開校記念碑碑文

わが雨紛小学校は神居村最初の小学校として明治二十八年五 月一日
の創立にかかる これよりさき当地域には二十三年杉沢繁吉ついで
翌年折本利三郎坂本徳茂等が移住 苦心開拓に従事したのに始まり 
二十 五年十二月土地貸下のことあるや入植者激増 二十八年には
七十四戸三百四十人墾地百七十四町歩に達する 乃ち有志相謀り部落
民出金して東一条七号 に敷地二千三百余坪 民家一棟十五坪を求め
忠別小学校雨紛分教場として開校するに至ったもので入学児童二十
二名後三十二年四月独立して公立雨紛尋 常小学校と改称 上川地方
教育の草分け池田茂氏初代校長として鋭意これが経営に当たり環境の
整理と地方文化の育成に尽される これより時勢に応 じて多少の改変
はあったが歴代校長職責より父兄同窓生相協力開校六十五周年を迎え
そのよく成果を収めて今日に至ったことを喜び更に将来の限りなき 発
展を祈ってこの碑を建てる

昭和三十五年八月

 

杉沢繁吉は明治二十三年屯田兵屋建設の用材を切り出しに雨 紛原野
に分け入り、
造材作業終了後の明治24年、「赤毛」の種 もみを取り
寄せ、雨紛西五線で5アール(五畝歩)の水田に試作し27 リットル
(1斗5升)の収
穫をあげた。翌25年には20アール(二段 歩)を作
ってこれも成功したという。」と支庁資料に記載されている
上川水稲
発祥の先達となった青森県人です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旭川市上雨紛  上川水稲発祥の地の碑

雨紛囃子の生まれ た旭川市神居町共栄(旧神居村共栄)

 

旭川市神居町雨紛  雨紛神社

旭川市神居町  富沢神社

旭川市神居 町豊里 豊里神社と豊里開基百年記念碑

旭川市 神居町忠和 忠和神社

旭川市神居町台 場 台場神社

旭川市神居 神 居神社

旭川市神居 町豊里 豊里神社と豊里開基百年記念碑

旭川市神居町富 沢 富沢神社

旭川市神居 神 居神社遥拝所

旭川市 神居町神居古潭 神居古潭神社

旭川市神居町 神居古潭 神居古潭神社と百年記念碑

 旭川市神居 町豊里 豊里神社

旭川市 神居町西丘 西丘神社

 

 

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