北海道日帰り温泉の旅
平成25年11月10日
November 10, 2013
白金温泉開祖とも言うべき畠山温泉を探す
畠山温泉は東神楽の人畠山三郎が雲井の滝の水を取り入れて 温泉経営をしていたとのことで、どうやらポンピエイ川左岸、美瑛川との合流点至近の地だったようです。大正10年のある時期
にはこの温泉が無かったと地元美沢の住民の話が「美瑛町美 沢郷土史」に残されていますので、大正10年以降の開湯だったことは間違いないでしょう。大正15年の十勝岳爆発に伴う泥流 災害
については沢山の資料が残されているものの、畠山温泉につ いては、直後に現地を訪れている美望が原(白金模範牧場付近)住民と、捜索にも深く関わったであろう美沢住民の話が断片的に 残
されているだけです。
温泉街に入り先ず眼にする小さな流れは流路工として整備さ れた名もない流れで、水量の殆どは地下浸透して滝となって美瑛川に落下しています。大正15年の十勝岳爆発でこの沢を泥流が
流れた記載は見当たらないのですが、温泉街を貫く小さな沢 は温泉街を泥流災害から守る生命線となっているようです。ただこちらの沢は大幅な工事がなされ当然畠山温泉のあった当時とは
様相を異にしているものと思われます
流路工河口には最初に町営施設が設けられた「湯元白金温泉 ホテル」があります。町史などに起債のあるポンピェイ川と流路工は河口では接近していますが、それにしてもポンピェイ川
河岸にあった畠山温泉の位置とは少なからず違いがありそう です
中央部分が美瑛川で温泉街のやや平坦な地域から、急峻な崖 となって深い渓谷を形成しています。ポンピエイ川を猛烈な勢いで下ってきた土石流はやや平坦となっている現白金温泉
付近で力を溜め、畠山温泉及び付近の樹木は勿論小山までも 削り取り、一挙に美瑛川に落下ダムアップし、美瑛を襲うことになったようです
美瑛町のお年寄りにこよなく愛される国民保養所で会った年 配者のお話では、「保養所の美瑛川寄りの地点であったろう」とのことでした。
「 美瑛町美沢郷土史」から畠山温泉の位置を考 察
「 美瑛町美沢郷土史」に丸谷温泉第三の湯とし て紹介されている写真は、全く同じものが、美瑛町100年史などでは畠山温泉として掲載されています。
おそらくこれが畠山温泉であろうと思われます。現在の白金 模範牧場の方角から、美瑛川とポンピエイ川合流点に向かい、崖淵から見た前方の密林
は跡形もなくなっていたとのことですから、ポンピエイ川河 岸に畠山温泉があったことが想像されます。
当日畠山温泉には湯治客2名がいたが、午前の爆発で急遽下 山。宿には、畠山夫妻と孫、堀田娘さんと畳屋さん2名の合計6名が残っていて、泥流
に襲われたとき、畳屋さん2名は裏山に逃げ、山伝いに上へ のがれたと記されています
現在のポンピエイ川ですが、大幅な改修工事が施されていま す、畠山温泉のあったころは密林を形作っていたようですから、
銀瑛荘の道路向かい、白金温泉地域の山側に隠れるように小 さな階段がありました。畠山温泉に泥流が押し寄せたとき、とっさに窓を突き破って山側の立木に掴まり押し寄せる泥流から逃れ た
畳屋さん2名は勢いのおさまるのを待ってこのような山に 登って脱出を図ったものでしょう
美瑛町在住服部武夫氏のお話を参考にさせていただ
きました。