北海道日帰り温泉の旅
平成25年10月20日
October 20, 2013
東川町 水稲発祥の地の碑
東川町の広がりから、 地域一番の河川忠別川沿いに入植が始まっているように思われますが、実はもう少し小さな倉沼川沿いに阿波団体、富山団体が
入植し、開拓が始まっ ているようです。「東川町 水稲発祥の地の碑 」もキトウシの山すそ倉沼川に近い場所にありました。富山団体の入植者が最初
に試みたことから、富 山神社前方200メートルほどの場所に碑が建立されています
東川町 水稲発祥の地 の碑
碑文
東川の稲作は明治二十 九年富山団体長佐々木定多氏が稲作に着目し沢田喜一氏に五アールの水田を造らせたことに始まる。最初の水田は碑の後方五メートル
にあった谷地を利用し て造られた 先駆者たちは困難な条件を旺盛な研究心と不屈の精神で克服し短期間に水稲の試作を成功させ農民に希望の灯をともした
引き続き土功組合等に よる用水路の掘削が行われ開田が急速に進み東川農業発展の基礎が築かれた 以来今日まで先人のたゆまぬ努力により水田
三千三百ヘクタール年 産一万五千トンに達する道内有数の米作地帯に発展した 開田八十年に当たり農業団体等の協賛をえてこの地に記念碑を建立し先人
の偉大な業績に対し深 く感謝の念を捧げるとともに農業者が逞しい開拓者精神を受継ぎ見事に整備されたほ場を基盤に豊かな農業を展開されることを願う
次第である
昭和五十一年六月十七 日
東川町
碑の後方五メートルの 谷地を利用して水稲の試作を行ったとのことですが、現在周辺は基盤整備が行われ元々の姿は消失しているようです
東川町 水稲発祥の地 の碑 前方200メートルに見える鳥居が富山神社です。
ーーーー塩狩峠の北での稲作発祥の地として貴重な地位を占めていま すーーーー