北海道日帰り温泉の旅

 

 

 

 

平成25年 9月23日

September 23, 2013

 

旭川市東鷹栖三箇 柏台 神社



旭川市と 比布町の境界を形成する山と公園は突哨山(とっしょうざん)と呼ばれ、ゴルフ場計画に反 対

市民、町民の運動で旭川市、比布町が環境保全を目的として公有化、カタクリの群生地として有名です。

その旭川側が三箇地区と呼ばれる地域です、

東鷹栖北地区の中心地 です。三箇農場があったことから一帯は三箇と呼ばれることも多いようですが、旧三箇農場以外の
地域も広く含んでいるようです。

 

 

 

 

 

 

悠久豊土の碑

碑文

大雪山連峰を東に 仰ぐ上川盆地の北東 石狩川の右岸に突出する突哨山を基点として山麓沿いに展開する丘陵地帯は その地形上

開拓当初水田経営 の圏外とされていたが この地に新天地を求めた農業者の稲作への悲願止み難く 大正五年同志相諮ってあらゆ

る困難を乗り越え  大正八年水路の開さく水田造成をなし遂げて今日の基礎を築いた先人の偉業は燦として輝き その不屈の闘魂

は今 地域農業者 に受継がれて生々発展の道を進んでいる

即ち本道に於ける 傾斜地水田の嚆矢として 重粘土小区画の水田経営に取り組んで来た六十余年の道程はまさに血と汗の苦難の連続

であったが 昭和 三十年代以降の目覚しい経済発展の下で農業の規模拡大機械化への転換が必然となるや それに対応する必須条件

としてほ場整備事 業が重要課題となり 当時東鷹栖村(昭和四十六年三月二日旭川市に併合)及び関係農業団体並びに受益農業者が

一大事業を企図協 議を重ね 昭和四十三年からの根強い運動が実を結び 昭和四十五年「鬼斗牛地区道営ほ場整備事業」として着工

爾来十ケ年余の歳 月を経て茲に完成を見るに至った

日本農業が今日水 田利用再編対策等を中心とする厳しい情勢下にあるとはいえ 今や往昔の地形その片鱗を留めぬままに歴史的な変貌

を遂げた地域一円 は関係農業者の経営改善への尽きざる創意とたゆまぬ努力により 名実ともに上川稲作の中核地帯として輝かしい未来

に向けて発展する ことを確信するものである

新しい農業の確立 を目指したほ場整備の一大事業の総てを終えた今日先人の不撓不屈の開拓魂を讃えると共に この事業の推進に携わ

った方々に感謝の 意を捧げ 地域一円の沃土を一望するこの地に一碑を建て後代に伝えんとするものである



 

 

四基の馬頭観世音碑が並んでいました。地域内各所に建立されてい たものが神社境内に
移設されたものと思われます。明治、大正、昭和の年代が記されていました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最も古いものは 「明治四十四年九月三日建之」となっていました。

 

  

 

 

旭川市在住菅野幸治氏のお話を聞いて訪問。菅野氏はともかく資格マニア で運転免許は大型二種、調理師免許、水墨 画、愛犬関係は
審査員、訓練士、トリマー、ほか。博学でしかもずーっと旭川ですから、市内のことはとりあえず彼に聞いておけば間違いないでしょう。



そのⅠ
そ のⅡ

旭川市東鷹栖10線22号 三箇 農場開放記念碑

 


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