北海道日帰り温泉の旅
平成25年8月25日
August 25, 2013
美瑛町白金望岳台 大正大爆発丸谷温泉遭難者慰霊碑
明 治四十二年に丸谷温泉がこの地に開業しているとのことですが、明治の人々の温泉への旅はどう 考えても片道一日がかりの徒歩行軍です。
し かも刈分けられたばかりの道は羆も出没する原生林ですから、現代では冒険旅行に匹敵する中身 ではないかと思われます。ただ十勝岳山頂
付 近には硫黄採掘の鉱山があったようですから、人跡未踏の地ではなかったでしよう
周 辺も現在は立ち入り禁止とはなっていませんが、何時活動を活発化させるか注意していなければ ならない活火山です
観 光客の多くがこの地点まで登ってきますが、大正大爆発丸谷温泉遭難者慰霊碑は更に数百メート ル先になります
望 岳台から白金温泉方向を望んだところです。遥か右に見える薄緑の広がりが上川上川生産農業協 同組合連合会の模範牧場になります、
下 手の建物が、レ ストハウスです
今
回訪問の主目的ではなかったのですが、高山植物も一面に咲き乱れていました。このあたりまで
は天候が許せば特別な装備なく登ってくることが可能です。
美
瑛町五稜地区でも自生するエゾリンドウを見かけましたが、望岳台のエゾリンドウの素晴らしさ は断然トップです。
丸 谷温泉のあった場所に慰霊碑は建立されています が、ここまで登ってくる観光客は極めて僅かです。国立公園内ですから、お手入れも限りがあることでしょう
大 正大爆発丸谷温泉遭難者慰霊碑
明 治三十七年祖父常吉 十勝岳一帯の泉源を調査 温泉を発見 関係機関の許可を得 道路の開作 旅館施設を整え
第 一より第三温泉として開業した盛業時には 年間湯治客五百余名を数えた なお施設の拡充を計 画 新築作業に従事
中 大正十五年五月二十四日十勝岳大爆発に遭遇し 父吉之助 兄吉幸 政幸 一瞬にして山津波 に巻き込まれ死亡
温 泉はもとより 施設とともに 遺滅した 遺族は 母を中心として 幾多の辛苦を克服 今日に 至る
茲 に爆発後十年を記念遭難の父兄及び母の労苦を偲び 慰霊のため この碑を建立する
昭 和五十年五月二十四日
遺 族建立
現 在の白金温泉附近にあった「畠山温泉」でも主人畠山三郎氏夫妻・孫の次郎さん、湯治客の堀田 ミヨキさんの四名が犠牲となっているそうです
慰 霊碑建立については国立公園内でもあり、たいへんな苦労があったようですが美瑛町前々町長安 藤友之輔氏の尽力等もあって、登山者の道標を設置することで
許 可が出たそうです。「十勝岳連峰山岳」と記されているプレートがそれでしよう
そ う離れていない時期に慰霊碑にお参りした人がおられたようでした。身内の方だったのでしょう か
この記事の編集にあたっては美瑛在住細谷昌弘さんのお
話を参考にさせていただきました。