北海道日帰り温泉の旅
平成25年6月16日
June 16, 2013
和寒町西町 和寒神社
大正4年に剣淵村から分立し和寒村が誕生していることから、
和寒神社の創立も昭和十三年と比較的新しい年代でした。
手水舎の前に置かれている石灯篭は大正六年十月三十日建之と
彫られていますので、この地でも昭和十三年の和寒神社の創立
を待つことなく入植直後からその基盤となる地域の神社は建立
されていたのでしょう。
なんとなく明治の人と言うと明治生まれのような気がして
しまいますが、明治に生きた人は当然のことにもっと
前の生まれでした。
「聖戦三週年紀念」「皇紀二千六百年」の文字が見られます
和寒町文化財 稚児舞 の紹介がありました。
もう一方はやはり和寒町文化財 神代神楽面 についての
説明です中和地区には広島団体が入植していたようです。
顕彰碑は水稲冷床育苗法創業普及功労者小川義雄の功績を讃
えて建立されたものです。和寒町松岡農場支配人の職にあっ
た人のようです。
小川清澄の二男・札幌興農園・五番館の創業者小川二郎の弟
・小川義雄と言うことになります。小川清澄は鷹栖町の
華族農場松平農場の初代管理です。
伊藤誠哉氏は第5代北海道大学総長で昭和20年から25年までそ
の職にあったようです。小川義雄の出身大学は判然としませんが、
兄小川二郎が札幌農学校出身、撰文に北海道大学総長伊藤誠哉氏の
名があることから推測すると札幌農学校出身だったかも知れません
境内の片隅に地神碑が祀られていました。住人のいなくなった
塩狩地区のものが、和寒神社に遷されたそうですから元々は
塩狩地区の地神碑と思われます。塩狩小学校の向かいにあった
とのことですが、現在は小学校も解体されており、跡地の説明
板が掲げられているのみです。
「昭和十七歳九月吉日」となっています。塩狩地区の
開拓の歴史は不明ですが、塩狩小学校は昭和7年
12月1日開校 昭和44年3月31日閉校となっ
ていますので、昭和初期からの開拓と思われます