北海道日帰り温泉の旅

 

 

 

 

 

平成24年8月15日

August 15, 2012

 

美瑛町 宇莫別地区開基百 宇莫別小学校開校九十周年記念の碑

平成11年建立の下宇莫別の開基100年記念の碑より、2年前にこちらの記念碑が造られていま した。まあ、100は区切りが良いので多少のことは眼をつぶったのでしょうか.




明治25年東旭川屯田兵入植、東旭川米飯への福島団体入植は明治31年、屯田兵入植から10年 ほどで開拓は旭川周辺から徐々に広がりを見せていたようです。

美瑛初の入植者は辺別太現在の旭に酪農経営をめざし明治27年に入植した旭農場の小林直三郎と なっているが、現在の美瑛町中心部から考えると最大河川美瑛川沿いの比較的広大な原野現在の白金線沿いの美沢に明治29年。30 年に

中堅農場入植、その後宇莫別川沿い、置杵牛川沿いの入植が始まっているようだ。辺別川沿い朗根 内より上流の原野は御料地で明治41年の貸下げを待つことになる。

 

碑文

宇莫別地区は明治三十五年佐々木久太郎氏の入植以来最大百七十戸余りの聚落を形成するに至る

その間 住民はこぞって地域の進展と生活の安定を願い粒粒辛苦今日の理想郷を建設するに至る

本日ここに開基百周年並びに開校九十周年の記念式典を挙行するに当たり幾多先人の労苦に想い

をいたし今後の更なる郷土の発展を祈念し記念碑を建立する

平成九年十一月二十三日

美瑛町特別功労者 内田一郎 謹書

 

 

 

 

 

 

 

 

 



道営総合農地開発事業参加者数は五十六名となっています。新規開墾も百十haの記載があり、川 沿いの農地は整備、山沿いは新規開墾が行われたようです。

 

 

 

 



昭和二十八年五月建之 寄贈者上野金太郎となっています。

まだまだ物資も不足、我がことで精一杯の時代に、どーーんと寄贈した上野金太郎氏はどんな人 だったのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

中宇莫別 奥に進むにつれて、水田も畑作に使われる部分が目立ちます。

 

トマトでしょうか。

 

基本的には沢の幅の中に農家二戸は並び立たない程度です。

 

 

 

 



こちらは聖台ダムの一部がその地域であった赤羽地区生誕百年碑

 

 

 

 


我が郷土の碑文

赤羽集落の区域は、赤羽農場の大半、相馬農場の一部を含む区域である。この区域内には現在の聖 台ダム堰堤付近と、それに連なる丘陵地であったが

後に公園とダム堰堤用地は公有地となる。この地に初めて鍬を入れたのは四国から神楽村に移り赤 羽を永住地とした山口敬蔵氏で、慎重な山口氏は広い

地域の気候、風土、地形、土質を調査した。この年明治四十三年である。その後、大正に入り多数 入植し手いる。悠久からの自然丘陵赤羽の地に先人達

が苦労を重ね、歴史また多くの文化を築き残した事は永遠に忘れ去られることなく、後の世まで語 り継がれるであろう。郷土を愛し多くの遺徳を残し、また

望郷の念を持ちながら、やむを得ずこの地を離れて行かれた方々の思いと、今後尚一層の向上を願 い、建立す。


 

 

 

 

 

美瑛町赤羽百年間に居住した人達の氏名が記載されている。

姓のみで名のない記載の家は入植後他の地域に転出した人達であろうか。

一部四代に渡る居住者がいますが、現在は三代目が跡継として活躍しているところでしょうか。

 

 

 


赤羽部落会館

 

 

 

 

 

美瑛在住上野公男氏に昭和28年に二宮金次郎像を寄贈 した上野金太郎さんについてお伺いしました。一族の方だったようです。戦後に材木関係

で成功をおさめた方のようで、美瑛町百年史にも掲載が ありました。

 

美瑛町五稜開基五十 周年記念碑

美瑛町 下宇莫別 山崎興吉翁頌徳碑

美瑛町 下 宇莫別神社

美瑛町 宇莫別地区開基百 宇莫別 小学校開校九十周年記念の碑

美瑛町 聖台ダム

旭川 千代ヶ岡 神社

 

 

 

 

 

 

 

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