北海道日帰り温泉の旅

 

 

 

 

平成25年6月30日

June 30, 2013

 

士別市 屯田兵家族上陸の碑

 

士別に入植した屯 田兵家族は現在の比布町蘭留から和寒までは列車で、和寒から現在剣淵道の駅のある地点
までは徒歩で、そこから小船に乗り現在の日本甜菜製 糖(株) 士別製糖所付近まで剣淵川を下ったとされ
ています。乗船の地と上陸の地夫々に史跡標示がなされています。

 

日本甜菜製糖 (株) 士別製糖所

 

士別市屯田兵上陸 の地の碑

 

 

 

屯田兵家族上陸の 地

1899年(明治 32年)七月一日、士別に入地する屯田兵第3大隊第五中隊は、家族と共に和寒より徒歩で士別に
むかいました。屯田兵の家族の中 で体力のない子ども、婦人、高齢者などは剣淵ビバガラウシの福井橋からアイヌの
人たちの丸木舟で剣淵川を下りこの地点に上陸し ました。

士別市教育委員会

 

 

 

開基五十年記念

昭和二十三年建立

 

 

 

歩行者専用の「と んでんばし」がありました

 

 

 

剣淵の乗船の地も そうでしたが、さすがに当時の面影が残されているとは思えません

 

 

 

屯田兵家族が小船 に乗船して、剣淵川を下った場所は剣淵道の駅付近に史跡として残されています。

現在は小さな水溜 りがある程度で、到底小船を浮かべるような場所ではありませんが当時鬱蒼たる

森林の中豊富な水 量の小川があったのでしょう。

 

 

 

 

舟付場

明治三十二年北門 の警備と本道開拓の先駆者として最後の屯田兵が剣淵町に入地した、

この間蘭留より和 寒までは建設列車で来たが、それからは道路も鉄道もなく、徒歩で目的

の地へ向かわなけ ればならなかった。

原始林や熊笹にお おわれたなかを老人をいたわれ師弟を背負うなどしてこの処へたどり

ついたのである が、士別へむかう老人と子女は歩行がむずかしくこの船着場より小船に

乗って下ったとこ ろである。

今はその面影もな いが、史跡としてここに保存する
 

上川郡剣淵町教育 委員会

 




士別市大通北1丁目   士 別市稲作(水田)発祥の地


士別市西士別 町 士別市博物館敷地の屯田兵屋



士別市 屯田兵家族上陸の碑と入地に利用した剣淵舟付場


士別市九十九 山 士別神社


士別市大通西1丁目717   士別市街発祥の地の碑


    士別市東3条北1丁目屯田公園   士別兵村開拓記念碑


  士別市西3条北4丁目382番地   屯田兵上陸の地の碑
 









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