北海道日帰り温泉の旅

 

 

 

 

 

平成24年11月11日

November 11, 2012

 

旧上富良野町立里仁小学校

明治44年10月6日上富良野第三教育所として開校 。昭和48年3月31日閉校。現在は校社は残っていません。里仁会館が建てられ、二宮尊徳の像が遺されていました。

閉校の際には地元の強い抵抗があったとのことですが、開拓の初めは先ず小学校ついで神社ですから、気持ちが分からないでもありません。
 

 

 

台座には報徳の文字が刻まれています。当時は農村のどこにも報徳会が設けられて勤勉で誠実な人材の養成に大きな役割を果たしていたのではないでしょうか。

 

 

天皇人間宣言、第一次農地改革実施のあった昭和21年の建立でした。農業者にとっては苦しい時代ではあったけれど、希望も見え始めた時代でしょうか。

沢山の方が二宮翁像建設費寄付者に名を連ねていますが、女性名も散見されます。

この時代にと考えると、ちょつと不思議な気もします。

 

 

 

 

ここ里仁の郷は、明治四十年(1907)宮城県より豊里団体、徳島県より阿波団体が入植の鍬を入れたのに始まります。

開拓の艱難辛苦を乗り越えた先人達の努力を決して忘れるものではありません。

里仁が大地と共に歩み、豊かな里となることを誓い茲に記念碑を建立し感謝と敬意を表します。

平成十八年(2006)十一月建立

里仁開基100年記念事業委員会

 

 

 

 

 

 

 

二宮尊徳像の置かれている場所から間もなくの丘の上にはかつてのグランドらしき平地があり、「上富良野町 公立里仁小学校」の門柱が遺されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

100年記念碑の寄進者名簿に見受けられない姓も多く、100年の間にはこの地に夢を抱き入植、様々な事情でこの地を離れた多くの方がいたのでしょう。

 

 

 

 

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