北海道日帰り温泉の旅

 

 平成24年9月16日

September 16, 2012

 

旭川市東旭川町瑞穂  旧旭川第六小学校から上南部水神 宮、豊田へ


旧旭川第六小学校は古い歴史を持つ校舎跡ですが、特に表示もな く、ネット上の沿革表 示も様々でほぼ歴史の中に埋もれてしまいそうな校舎
です が、旭 川市立第一小学校のホームページによれば明治40年上米飯2号線 に分教場設置(3年まで収容)大正4年2号線の分教所で4年ま
で収容に変更。大正11年分教所 旭川第六小学校と改称。昭和59 年旭川市立旭川第一小学 校へ統合となっています。こちらが信頼できるで
しょう。現在は東旭川公民館瑞穂分館となっています。2021年現在体育館も取り壊されています。


 

 

 


旧 ペーパンの奥は多くが戦後の入植で拓かれた地域で、最奥から旧旭川第六小学校付近までの農家
はほとんど通い作になっているように見えます。農繁期のみの住居となっているの でしょうか。




瑞穂の小集落から上南部へは山道を登り車で10分ほどの距離で す。上南部地区は同じペーパンとは言いながら、
別の沢沿いに拓かれた集落で平坦地が少なく、農業条件は良さそうでは ありません。上南部水神宮は上南部の最
も奥、農家の庭先を抜けるようなところにありますが、表示があり迷うことはありませ ん。旭川市東旭川町米原
713番地となっています。

 

米飯川支流に沿って拓かれた地域は通常上南部、下南部と呼ばれて います。福島団体入植後相次いだ
団体入植の出身地名でしょう。小さな社が置かれていて、その横に水の取り口が一つだけあります。


 

 

 

 

 

駐車スペースと無料の休憩所が設けられています。

 

帰路に見つけた泥壁の家。 納屋として使われていたと思われる建物と住居と思われる建物の二つが並んでいます。

現在は廃屋となっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

周辺の圃場も耕作放棄されているようです。

 

 

 

 

 

 

 

地神様が祀られていました

水神宮の注意書きにあったように、確かにこの地区は奉られている 多くの神があるようです。

 

 

 

上南部会館

清水の里高齢者いこいの家

 

 

 

豊田地区会館

 


豊田地区は米飯川下流部にあたり、現在の米原、瑞穂地区より農業の諸条件は良い所のよ うです。豊田地区入植が、 明治30年、福島団体
が明治31年と一年違いですが、条件は随分違っているように思われます。当時の北海道開拓のスピードは想像以上に速かったの で しょう。

豊田地区開拓碑

豊田地区は佐坂農場として拓かれた歴史のようです。明治29年道庁より払い下げを受け 明治30年七名と共に入 地、と記されている。

置戸町にも大正元年9月14日 佐坂竹太郎が坂竹農場を拓いているとのネット上の記載があります。同じ方でしょうか。

 

 

 

 



旭川市東旭川米原 太田神社と福島団体記念碑

旭川市東旭 川町米原 旭川市立旭川第一小学校


 

 

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