北海道日帰り温泉の旅

 

 

 

 

 

平成24年11月25日

November 25, 2012

 

旭川市東旭川町 忠別  三木孫次郎翁功労記念碑と忠別地蔵尊


旭川市内から旭正を通り東神楽町に向かうと東神楽の街の直前、忠別川に架かる東神楽橋の手 前を 左折し間もなくの場所にあります。

そのまま進むと直ぐに東川町、忠別川向こうは東神楽町です。

 

三木孫次郎翁・記念碑の由来

旭川市東旭川町忠別・上旭正の開拓民は、長年に渡り忠別川の氾濫に襲われてきた。その一方 で用 水路の不備から、水稲に適した沖積土や気候に恵まれながらも、

耕作が拡がらなかった。当地の有力者であった三木孫次郎翁は、開拓民の窮状を見かね、私財 を投 じ用水路の整備を行った。

後の東川土功組合、現在の東和土地改良区の先駆的役割を担った。この一帯の美田は、三木翁 と労 役を提供した開拓民の賜である。

この功績を讃えて酒造業の関木藤三朗氏が発起人となり、後世に偉業を伝える記念碑として建 立 下。三木翁のご子孫は、川越市に

居住し当地に、しばしばご訪問を頂いている。

とあります。

 

 

 

「大正十四年八月建立 東川町土功組合 」の文字が読み取れます。

 

 

 

案内板では「関木澤」となっていますが、こちらでは「世木澤」となっていました。

登鶴と言う銘柄でお酒を出していた方のようです。

 

 

 

 

 

 

忠別地蔵尊と馬頭忠霊碑

 

 

 

忠別地蔵尊のいわれ

この地蔵尊は当地、大正期に屯田上公有地の開拓民が寄進したものである。開拓当時、苦難の あま り川に投身する者や、忠別川の氾濫による犠牲も多く、身元

不明者が上七号築堤によく流れ着いた。そこで、当地の農民は不幸な亡骸を葬り、慰霊鎮魂の 為に 当地に地蔵尊を据えた。毎年八月七日には、僧侶による法要

を営んでいる。現地建立に際し、田村政雄氏が尽力なされた。

合掌

また、同敷地内の馬頭忠霊碑は、開拓期から百年にわたる農業振興は、人馬一体の労務によっ てな されてきた。物言わぬ農耕馬に感謝し、家族同様の愛馬への

想い出を記憶するために、大正期に上公有地農民有志が建立した。

三木孫次郎翁の由来文と、忠別地蔵尊のいわれ文は岩崎正則がしるした。

平成21年7月

とあります。

 

 

 

すっかり雪景色となったこの日も地蔵尊と馬頭忠霊碑にはお花が供えられ、日々の生活の中で この 小さな思いの場所が守られているようです。

 

 

 

 

旭川市大雪クリスタルホール内旭川市博 物館 世木澤本家吟醸登鶴の甕

 

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