北海道日帰り温泉の旅
平成25年6月16日
June 16, 2013
鷹栖町北成 鷹栖町文化財資料 報恩の碑
「北門興業合資会社岐阜農場 本場管理高井」などの文字が読み取れます。華族農場で有名なやはり鷹栖の松平農場においても学識、見識の格段に優れた者を管理として任命し、
適任者のいない時は欠員として、支配人などを置いていますから、ここ岐阜農場においても小作人の信頼厚い管理が農場主に窮乏を訴え実を結んだと言うことでしょうか。
「北海道庁長官題額」となっていることからも、深刻な冷害であったことが分かります。
大正二年の大冷害の時地主から食料や種籾を贈られたのに感謝して建立とあります。
美瑛町文化財第1号は高橋北修 筆 「絵画」6点で、大正二年の凶作では味噌桶を煮て塩分をとったと説明のある画があります。
地神碑は報恩の碑建立よりはるかに遅れての建立のようです。
平成25年の北成地区はどこまでも整備、管理された水田が広がりかつての困難な歴史を想像することさえ難しいほどです。