北海道日帰り温泉の旅
平成24年11月5日
November 5, 2012
東川町 東10号南 金比羅神社
地神講社兼青年会場として建立されたと碑に彫られています。碑に彫られた年代では、大正11年が最古でした。
東川青年会創立が大正2年で当年は大冷害、凶作と記されています。そんな時代背景の中、地域の人々の拠所として形作られていった神社のようです。
同じ様式の灯篭が並んで設置されていますが、奉納された時期は微妙に異なっています。
寄進者名はどこの神社でも彫り込まれていることが多いのですが、ここでは願主となっています。
冷害、災害などで厳しい闘いを余儀なくされた開拓者たちが、地神講に気持ちの安らぎと地域の
結束を求めたものでしょう。
良い味わいですが、年代等は不明です。
当初建立の建物ではないと思われますが、小さな神社としては内部の造りがとてもきめ細かく、青年の集会場所の機能を持ったものとして始まった伝統かも知れません。
地域の小さな神社で内装、防寒の配慮が行き届いているところは少ないのですが、さすがに建立の歴史でしょうか。確りとした造りです。
行幸記念碑
「昭和十一年九月二十六日東川町青年団第三支部」と彫られています。
天皇陛下御統監による北海道陸軍大演習に先立ち行幸されたおりの記念碑でしよう。
地神社
昭和二十二年だと思われます。
この年の8月には東川町の広い地域が大洪水に見舞われているようです。
判別不明な個所もありますが、凡そ次のように彫り込まれています。
当部落開拓ノ当時隆盛ニシ共同心ニ富本村
模範ト称ス大部落ニ集合場ナキハ遺憾本場
有志者相手奥行五間半間口三間資金
三百円余ヲ投ジ地神講社兼青年会場ヲ建設折シモ時世ノ変遷
年々悪化減戸久修復ニ窮シ茲ニ於記念石ト改メ地神改修祀リ
併セテ将来ノ発展ヲ祈願スル謂ナリ
戦後間もなくの昭和二十二年のようですから、「減戸久」のあたりの判読はかなり怪しいとしても、老朽化した地神講社兼青年会場を修復
出来ず石碑の改修を行ったと言うことでしょうか。
東川町 東10号南 金比羅神社