北海道日帰り温泉の旅

 

 

 

 

 

平成24年11月25日

November 25, 2012

 

美瑛町 美瑛神社

 

平成7年10月11日移転造営とのことですから、歴史の痕跡は多くはありません。上川管内の町の神社は中心部から離れた地域が過疎化、限界集落となって地域の

神社を合祀している場合も多いのですが、美瑛は各地域ごとに「おらが神社」も実に良く守られてい、て中心となる機能が強く求められなかったことなども昇格、出世?

の歩みを遅らせたのかも知れません。

 

それでも、明るく風通しの良くなった美瑛神社は、火祭りを初めとした神事などで多くの氏子さんやときに観光客に求心力を発揮し、今や若者には恋愛のパワースポット

として大人気だそうです。存じ上げませんが、宮司さんなかなかのしかも行動力に富んだ方なのでしょう。

 

 

熊野那智大社宮司嶋津正三さん(故人)の筆でした。

神社関係の宮司さん始め偉い方には徳川さん、伊達さん、などの姓が見られます。ここでは嶋津さんでした。

 

 

 

昭和5年6月12日村社に列せられたおりの記念のようです。

 

 

 

美瑛神社に所縁の深い故田仲儀太郎の碑

明治29年4月和歌山県田仲儀太郎外23戸、美瑛原野(市街地)に入植

明治30年9月美瑛神社創建

と郷土資料館には年表により説明がありました。

神楽村より美瑛村が分離独立したのはその後、明治33年6月のようです。

入植戸数は参考資料に依り29戸となっているものもあります。

 

 

 

移設実行委員長代表の後路さんの姓は、明治45年奉納の御神燈に彫られた奉納者名にも見受けます。

 

 

 

 

 

 

 

明治45年は美瑛の歴史ではルベシベ御料地の開発が始まった年になります。

 

 

 

 

皇太子殿下行啓記念碑

 

 

 

判然としませんが、大正8年から第7師団長を命ぜられた陸軍中将内野辰次郎 の書でしょうか。

大正11年摂政宮美瑛駅通過の記録が美瑛郷土館の年表にありますので、その折のものと思われます。

ちなみに摂政の宮は大正10年より、大正15年の大正天皇崩御とそれに伴う自らの皇位践祚まで摂政を務めた後の昭和天皇です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

和歌山県団体となっていますが、田仲儀太郎を団長とする和歌山団体、若しくは熊野団体と言われる人達でしょうか。

故郷の那智の火祭りから那智・美瑛火祭りが行われることとなった由縁はここにあるのですね。

 

 

 

木下の姓も見えます。熊野坐神社より御分霊を受け戻った木下四郎さんの身内かも知れません。

更に現在に続いている方々も沢山折られるようです。

 

 

 

台座の高く積まれた地神さまでした。

 

 

 

雪をこすり付けてみると、大正十三年の文字が浮かびました。

 

 

 

町長を長くつとめた安藤友之輔氏、美瑛農業協同組合組合長で北濃中央会長をつとめた早坂正吉氏など美瑛の近年の大物の名が連なっています。

 

 

 

 

 

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